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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

久々の酩酊

酔ってますもので本題は避けて(どれが本題か本人も迷い道ですが)、少し寄り道します。

劣等感を克服するかどうか、或いは劣等感の発露を抑制する教育を受けているかどうか、凡人ならば個人的事情に留まりますが、為政者となれば話は違ってきます。

ロシア革命以降、ソ連人は何人いたか、私見を申さば唯一人です、通称スターリン。

「グルジア人の父親とオセット人(オセチア人)の母親の間に生まれ、小学校からずっと学校ではロシア語しか教えられず、グルジア語は家庭でオセット人の母親から教わり(オセット語はどうしたんだろう)、しかも極貧だった人物」、それがスターリンです。

スターリンは両親が異なる民族集団に属し、しかもそのいずれもが被支配民族と言う、誠に複雑極まる家に生まれました。

本人がスターリンと言う「仇名」を用いたのも、故意だと思われます。

ソビエトと言う新国家(連邦)を建設するうえで「民族的過去」を背負った名前(姓)は不要です。

ソビエトそのものが前代未聞なのですから、過去を引きずる物は不要です。

スターリンはおそらく、ソビエト(より厳密にはボリシェビキ)を「発明」した点においてのみ、レーニン(これも偽名)を尊敬していたのではないかと思われます。


ですからスターリンからすれば、ユダヤ人の左翼思想なぞ「甘い」、要はユダヤ人さえ一人前に扱ってくれたら事足りる訳で、それ以外はどうするんだと言う疑問に答える気概がない。

スターリンの粛清は「ソビエト人化が可能かどうか」のリトマス試験紙であって、他民族のロシア化を図った帝政ロシアの裏返しですが、ロシア人には生まれながらにしてなれる可能性があるが、ソビエト人には「生まれながらにしてはなれない」です。

ですからソビエト人化が不可能ならば粛清で、今は成り切っていないが更生の余地があれば「収容所送り」ということになります。


スターリンのライバルは誰か、旧ユーゴのチトーです。

チトーは「ミニ・スターリン」でありながら決してスターリンではなく、決定的に違うのは歴史に本名を残しています。

クロアチア人とスロベニア人のハーフで、家は貧乏で、時代はセルビア人が闊歩する「大ユーゴスラビア王国」、何もかもスターリンのミニチュアです。

ですが、チトーはスターリンほどには「粛清」、「収容所送り」はしませんでした。

これは「民族的劣等感」、「民族的優越感」の違いではないかと思われます。

従って、チトーは同様の境遇にいながら、スターリンではありません。

スターリンの末裔はもっと陰惨でした、毛沢東。

とすると、毛沢東は「強烈な劣等感」を持っていたことになります。

それが「感染」してクメール・ルージュのポル・ポトになります、「生まれながらに共産主義者でない者は、死ななきゃ治らない」

ネパールの共産党毛沢東派もこれに属します。

(続く)

by 4kokintou | 2010-02-11 02:41
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