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フランスでも塩税はありまして、それも国民の怨嗟の的であったらしく、フランス革命の際に廃止されています。
中国が正式に塩税(塩専売制度)を廃止したのか、今でも桁違いの税率が存在するのか、不勉強で存じ上げませんが、ただ一つ言えるのは、軍事国家から財政国家に変身した、唐王朝後期を支えたのは、間違いなく塩と茶の専売制度による歳入であり、この制度は主変われど継続しました。 この事実は、塩税は王朝を支えるための格好の道具であっただけでなく、北宋やその後の王朝においては、それを消化してなおかつ世代を経るに連れて、経済の拡大再生産が可能であったことを物語っていて、当時の中国の経済力の強さが伺えます。 つまり「北宋以降」の中国民衆は、 「本来の税金」+「塩税(茶税)」+「宗族階級(=高級官僚、士大夫階級)が胥吏を通じて徴収する私的税金」 をこなして、なおかつ拡大再生産の余力を残していたことになります。 但し、これは負担項目がこれ以上に増えない範囲において可能なことで、換言すれば「拡大再生産可能なギリギリの水準」まで達していたことになります。 仮に阿片が国民全体に広がったり、繰り返し巨額の賠償金を列強に支払ったり、銅銀の交換比率の変動で租税が実質的に倍になったり、全土に列強の租借地が建設され、そこが収奪と搾取の拠点となった場合、勿論戦費も臨時出費です。 鍵は「馬鹿天子」にありそうです。 それにしても、こうして振り返ってみると、王安石の改革が失敗に終わったことが何よりも悔やまれます、他人事ならぬ他国事ながら。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-02-16 21:49
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