現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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通説を否定する

特に中国史の場合、現代史も含めて、と言うことは毛沢東も含めて、「定説」「通説」の類はまず疑ってかからねばなりません。

例えば、「乾隆帝の後継者嘉慶帝が即位した時点(1796年)で、清(大清)の人口は100年前(入朝時点?)から倍増(2億人→4億人)したけど、耕地面積は10%しか増えず、農民層は困窮に陥った」と言った説明がWikiにも掲載されていますが、笑わせてくれます。

人口が倍増する間に耕地面積がほぼ横這い、単位当たり収穫量に変化が無く、この間の穀物輸出入は大勢に影響が無い数量とすれば、100年前の時点で「収穫量=需要」とすれば、遅くともその10年後には清朝は農民反乱で滅んでいるか、農民全員が餓死しています。

逆に嘉慶帝即位時点で、「収穫量=需要」になったのであれば、それまでの100年間、穀物は余りに余って採算割れ、100年前に農民は全滅です。

世界史の教科書を読めと言いたい、山川の「左翼欽定教科書」で構いませんから。


嘉慶帝は知らなくとも康熙帝を知らない大人は少ないと思いますが、連想ゲームで「康熙帝」と言われて「三藩の乱」と言う正解が早い段階で出なければ、歴史音痴ではなく阿呆です。

三藩の乱の結果、清朝は名実共に統一国家になりました。

つまりそれ(1681年、争乱終結時)以前は、三藩の支配地域の人口や耕作地は把握出来ません、三藩が教えてくれませんから。

ましてや徴税権が及びません。


漢民族王朝の明(大明)を滅ぼしたのは漢民族で、異民族王朝の清を戴いたのも他ならぬ華人です。

穀物収穫高を論ずる場合、「平年作」を基準に考えるのはそれが該当しうる時に限られます。

明は平年作を維持することすら出来ず、豊作なんて夢のまた夢の政権に成り果てたから見捨てられました。

清は三藩の乱を鎮圧した時点で、掌握する人口も増えれば耕作地も倍増(以上)、徴税範囲も飛躍的に拡大しました。


税の負担者である農民が「困窮した」理由は、別の所にあるのです。


「太平天国の乱の時点で、満州貴族は軍人として使い物にならなくなっていた」も大嘘。

それにしても、教科書って嘘に満ち満ちていますね、「毛沢東伝説」も含めて。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-08 07:45
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