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どうも中国人と言うのは、「内なる敵」を作らずにはおられない民族と理解せざるを得ません。
王安石のことを考えていますと、仮に王安石本人が聖人君主だとしても、その支持者が俗人であっても何ら不思議ではなく、新法党と旧法党の抗争は、征服者「北人」対被征服者「南人」の抜き難い相互不信が根底にある様な気がしてなりません。 しかも一致団結しているのなら兎も角、南人の中でも浙江省と江蘇省は知る人ぞ知る犬猿の仲、「理屈屋の浙江、実利の江蘇」とでも表現しましょうか。 王安石の改革に端を発する政争は、士大夫主権国家とも言うべき北宋の成立に伴い、士大夫層(=地主=宗族階級)の中でも当初からその余沢を蒙っていた部分と、所謂「冷や飯組」の権益と利権を賭けての大勝負だったのではないか、こう考えられます。 と言いますのも、同じ宗族の中でも両派に分かれ、両派の抗争が激化し醜悪になるにつれて、反対派への報復が厳格になりますから、同族の構成員が別の構成員を糾弾することになり、その厳しさは時を経るに伴い加速度的に増しますから、宗族内でも憎悪が増幅することになります。 ここで明治維新と比較しますと、当時の支配階級、つまり武士は自らの手で既得権益を残りの国民に開放しました。 王安石も権益の一部を自作農を中心とする層に手放すことで、国力の増強を図ったのでしょうが、新法を実行に最も足りなかったもの、それは社会構造への理解、もっと言えば(中国において一度も法的に公認されたことのない)宗族と言う階級に対する洞察が足りなかったのではないでしょうか。 王安石にせよ王陽明(同族?)にせよ、改革失敗の背景には必ず宗族の影がちらつきます。 均一性がなかった点も大いに論じられるべきでしょうが、日本だってその均一性の種は江戸時代を費やして発芽させています。 歴史は時に警鐘となり、時に足枷となります。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-04-13 22:54
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