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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

「団派」

「団派」と言えば中国共産主義青年団、これはもう専門用語と呼ぶのが憚られますが、現在の呼称になったのは創設後かなり時間が経ってからで、その淵源は1920年8月設立(上海)の社会主義青年団に始まりますが、この社会主義青年団と言うのはこの時期、各地で一斉に立ち上がっているうえ、中国共産党の発足そのものが1921年7月(上海)ですから、今でこそ共青団は「党の助手及び予備軍」(中国共産党規約第10章第49条)と規定されていますが、これは別系統の集団が無理矢理一本化されたと考えるべきかと思われます。

そもそも中国共産党にしてからが、当時のコミンテルンの肝煎りで「大同団結」した政党で、日本の民主党も真っ青の寄り合い所帯で、その共産党の指導下に各地の社会主義青年団を糾合したのは、1922年5月の広州、晴れて「中国」社会主義青年団が結成されました。

中国「共産主義青年団」になったのは1925年、1949年から56年までは別の名称ですが、57年5月に現在の名称に復帰しました。


何で社会主義青年団時代の「団派」にこだわるかと言いますと、ここが「宗族(それも名族)の根城」ではないかと言う疑問がどうしても脳裡から消えず、そう考えないと辻褄が合わない部分が多々あるためです。


それにしても中国共産党創設メンバーの顔触れは多士済々、意見が纏まるどころではありません。

ただ確実に言えるのは、結党時点で最も共産主義思想に対して無知だったのは、間違いなく毛沢東です。

言葉は悪いが「田舎っぺ」で、そのうえ紳士(インテリ)でも思想家でもありません。

個人的には、同時代人の中では張作霖と同じ部類に入る「流族、馬賊」の棟梁の類で、歴史から人物を拾えば、洪秀全よりも黄巣に似ていると考えています。

(続く)

by 4kokintou | 2010-04-22 22:50
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