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客家のことを語る前に、思わず唸って考え込んでしまったのは、あの林彪が当時(1923年)の社青団に入団していたことで、「社青団(後の共青団)は宗族の巣窟」と言う仮説が果たして成り立ちうるのか、今思案中です。(25年には黄埔軍官学校に入学しているので、社青団から席を抜いたのかも知れませんが)
旧宗族階級にも名家から辛うじて名を連ねる三流まである様に、旧胥吏階級にも周恩来を輩出した名家と大した権勢もない家もあるとすれば、客家も様々、むしろ一括りのするのが最も困難な階層ではないでしょうか。 客家出身の最初の著名人が文天祥で、その次が洪秀全であることから分かる様に、客家階級は清朝後期まで、一部を除いて下層階級を構成していたと考えられます。 ただ、乾隆帝時代の阿片の流行で宗族勢力に衰えの兆しがみえる一方、海外勢力と結びつつ裏社会の拡大と共に、客家がのし上がってきたのも事実です。 洪秀全は客家出身ですが、同時に読書人で、但し科挙に通るほど賢くは無かったです。 面白いことに中国最大の潜在的反体制勢力は、科挙の落ちこぼれで、黄巣もその一人です。 ですから客家も全体として裕福になりつつあったのが、乾隆帝末期から嘉慶帝以降の時代で、孫文が皇帝の首を刎ねた時点で、それぞれの階級の貧富の差は、以前より縮まっているのではないか、そう思われます。 太平天国の乱について一言。 小誌はこの反乱が清朝に痛撃を与えたと言う説に与しません。 体制側から言えば、もっと痛撃だったのは、日露戦争、それに科挙の廃止です。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-04-26 23:30
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