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「皇太子」習近平の奥方、彭麗媛女史のことを例によってWiki等で調べさせて貰いました。
流石に複数の読者がご指摘されるだけあって、複雑な経歴の持ち主です。 同時にその前半生は文化大革命の消長を反映していると言えます。 1962年生まれだから11月の誕生日で48歳、14歳(1976年)に芸術学校に入学していますから、文革の終息に伴いこの種の「専門学校」も、「右派の反革命」家族の子弟にも開放された模様です。 そこからの立身出世が凄いです。 18歳で人民解放軍の文芸兵、20歳で中国中央電視台春節聯歓晩会に出演、22歳で人民解放軍総政治部歌舞団に入団、同時に中国共産党党員、そんでもって26歳でお坊ちゃんの細君となりました。 問題は、何処で誰の「引き」があったかと言うことで、言葉は悪いが最後にたどり着いたのが今の旦那様と言うところでしょう。 女性でありながら「少将」の称号を自らに与えると言う発想は、おそらく本人の発案でしょうが、2002年に義父(お坊ちゃんのご尊父)が亡くなっていますし、ご主人におねだりしても叶うものと叶わないものがあります。 とすると亭主以外に、軍内部で交渉すべき相手が必要で、そんな人物と親密な関係にあると推測出来ます。 有体に言えば、「表の亭主はお坊ちゃん、裏の亭主は軍有力者」、こうでなければ「少将」の意味が解けません。 それより皇太子(敬称略)、この女史に呼ばれてノコノコと母校(学習院大学)に立ち寄り、同室で観劇を楽しんだと言うのは一体どういうことか、その後の「習近平無理矢理天皇拝謁事件」の手先は貴様か。 己の女房のキャリアを否定されることには至極敏感でも、日本の将来には無関心か、「保守」が全て天皇制支持だと思ったら大間違いだぞ、立憲共和制に基づく保守も日本で立派に成立しうるのだぞ。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-10-24 23:18
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