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「世界で俺より偉い人間はいない」と思い込んでいる人物同士が話し合ったらどうなるか、それを物語るのが1949年12月の毛沢東による訪ソです。
交渉相手は勿論スターリン、ドイツ第三帝国を殲滅させ、1948年には東欧の共産主義化を現実のものとした、「全世界の救世主」スターリンです。 このスターリン、マルクス・レーニン主義の唯一にして正統な後継者を自認していますが、要は「共産主義版ローマ教皇」であり、異端は許しません。 スターリンの考えではロシア革命こそ遅れた地域に於ける「正しい革命」で、それはプロレタリアがブルジョア革命を代行する第一段階(帝政崩壊)と、その結果として成立したブルジョア政権をプロレタリアが打倒する第二段階(ケレンスキー内閣崩壊、ソビエト成立)に分かれます。 ですから帝政ロシアより遅れた社会形態の中国は、まず国民党がブルジョア革命を成就し、その後スターリンお墨付きの共産主義政党がプロレタリア革命で国民党政権を打倒するのが、「唯一にして正統な後継者」の見解で、その通りに動かないとすれば、それは中国の方が悪いのです。 では中国共産党がスターリンにとってお墨付きを得ていたかと言えば、「非公認」だったと思われます。 でなければ1945年8月14日の段階で、ソ連と「中華民国」が中ソ友好同盟条約なるものを締結する必然性は存在しません。 それによればソ連は武器を国民党(政権)以外に渡さないことで合意しています。 ところが、中国共産党は「自前の革命」をやってのけました。(この「自前」は怪しい部分が多々ありますが、スターリン教皇のお墨付きなしで成し遂げたと言う意味では自前です) その結果、共産中国は「唯一にして正統なる後継者」スターリンの面子を潰したことになり、最初から両国は不倶戴天の敵とも言える関係にあったのです。 ですから中ソ友好同盟相互援助条約を締結するまで、毛沢東一行は翌年2月までソビエトに張り付く羽目になったのです。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-11-16 23:53
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