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チトーと毛沢東の共通点は、共産主義の「教皇」スターリンに刃向かった点で、では何故「マルクス・レーニン主義の唯一にして正統な後継者」に叛旗を翻したかと言えば、革命を自前で達成した、換言すれば「旧ソ連の軍事的支配下で成立した共産主義革命」でないことが大きな要因です。
実質的に国土を征服されては、反対意見すら封殺されますが、ソ連軍の戦車が目前に在ったとしても、それと国土を蹂躙されていることとは話が別です。 ですから「自前の革命」を達成したと言う点では、スターリン(ソ連)、チトー(旧ユーゴスラビア)、そして毛沢東(中国)の三者共に同列なのです。 つまり過去においてローマ教皇を三人並立した時代が存在しますが、それと良く似た状況が出現した訳です。 毛沢東一行が往復とも列車でモスクワまで赴き(誰かさん父子とそっくり)、約2ヶ月に亘って交渉を重ねた背景には、その時点で「中ソ決裂」していたのですが、それを表面かさせなかったのは、圧倒的なソ連の国力の前に、新生中国は煮え湯を呑まざるを得なかったからです。 そもそも1949年12月から1950年2月まで、誕生したての国を主だった要人が留守に出来たものだと感心します。(周恩来も同行) おそらく誰かに託したと推測されますが、それが誰かを調べるのも一興です。 中国研究の碩学中嶋峰雄氏によれば、この訪ソで中国側は悉く要求をはねつけられたらしく、その過程で激論が交わされたとのことです。 また宮崎市定京都大学名誉教授(故人)の推論では、モンゴルを巡って中ソの利害が交錯したことになっています。 すなわち、歴史的に外モンゴルも中国の支配が及んでいたから、今後は中国の傘下に置きたいと言って、暗に「外モンゴルからソ連の戦車は出て行け」と言う中国側に対し、大馬鹿野郎、共産主義化と言う点ではモンゴルの方が中国より遥かに先輩だし、何よりモスクワに忠実でソ連軍の駐留もウランバートルの要請に基づくもの、そもそも「歴史的経緯」云々を持ち出すのはブルジョア的思考の残滓に過ぎない、つまり「中国式共産主義化は認めん」と言うソ連の言い分が激突したらしいです。 結局、「一枚岩」を演出するために外交的には中国の全面敗北で終わったのですが、中国からすれば表面上とは言え渋々、コミンテルンに従っているだけで、そのご本尊のソ連がスターリン批判を始めると、そんな言動不一致の国の正当性を認めることは出来ない、やはり中国が「共産主義革命のご本尊」と言い出した訳です。 それにしてもスターリンはよくよく、毛沢東と中国共産党を嫌っていました。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-11-17 21:38
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