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突然ですが、米英は意外と仲が悪いです。
ただ今、日経新聞の名物欄「私の履歴書」に執筆連載中のペリー元国防長官の直系の先祖も、1812年に米国側から仕掛けた米英戦争(第二次独立戦争)の湖上戦で指揮していますが、20世紀になっても、ひょっとしたら21世紀の今でも、米英関係はしっくり行っていないのかも知れません。 中国に関しても、英国は上海と香港を主要拠点に、その腕力と国際法を矛と楯にして、中国を文字通り蚕食していきました。 対する米国の十八番は「門戸開放(宣言)」、対象国(この場合は中国)には列強が平等に参入しよう、そして列強は対象国を平等に遇しようと言う、帝国主義が世界を席巻する中にあって、何とも世間離れした外交政策を打ち出します。 大英帝国が編み出し、インドで予行演習並びに試行した後、中国で本格稼動させた帝国主義、これを採用しないと「喰われる」方に回ってしまうので、植民地化を逃れ「列強」に進化した国は全て帝国主義国家で、理想主義の米国ですらキューバやフィリピンをその支配下に置いていた事実は、その帝国主義的性格を物語って余りあるのですが、どうも帝国主義が米国人にはお気に召さないらしいです。 門戸開放政策を、形を変えた帝国主義的進出と断じる向きがあり、その側面も否定しませんが、米国には「かつての宗主国大英帝国的な事象の全否定」と言う思考が無意識的に働くのではないかと思われます。 その代表例がレアル・ポリティーク(現実政治)の否定で、理想を優先する、これには独立戦争を「米国革命」と自称し(相当部分で認めます)、常に「マニュフェスト・デスティニー」(際限なき意訳をお許し頂ければ、「神が用意し給いし、宗教的理想郷建設のための大地」)を口にするのは、米国民が建国当時から骨がらみの「理想主義傾倒人」だからと言えます。 それからすれば、帝国主義的手法は理想から程遠い、しかも本家本元があの理想志向の欠片もない英国ときていますから、英国が無関係な部分では帝国主義的でも、英国の姿を見かけた途端に帝国主義反対論=門戸開放政策を唱えると言う、自家撞着な言動を繰り返しても精神的に何の動揺を感じないのが米国人です。 チャーチルが言う様に、日英同盟に於ける日本ほど同盟に忠実であった国家は存在しないにもかかわらず、破棄するに至ったのは、米国が「本妻(米国)を取るか、妾(日本)を取るのか」と言った類の論理で、米英同盟と日英同盟の二者択一を迫ったことが最大の理由です。(ただ日英同盟の「賞味期限」が切れつつあったのも事実です) 戦後も余喘を保っていた大英帝国に止めを刺したのは米国で、スエズ動乱で帝国は単なる英国に成り下がりました。(イランのモザデクの件は措きます) 時代は既に「帝国」から「超大国」へと移りつつあり、スエズ運河に出兵した英仏に対し一方の超大国ソ連が核攻撃で恫喝するのは当然として、本来「核の傘」を差し出すべき米国はソ連報復を明言せず、結局英仏は撤兵、戦いでは惨敗の連続でしたが英仏を斥けて運河国有化を断行し、カリスマ性を獲得したナセル大統領(エジプト)と、戦争目的を達成したイスラエルが実質的勝者となりました。 フォークランド紛争での英国単独領土奪回(=米国は好意的中立に終始)を経て、イラクとアフガンでは米英「仲良く」共同出兵、英国は米軍から最も信頼されていますが、それは「理想主義者=空想家でも盟主は盟主」と言う、英国のレアル・ポリティークがなせる自制と忍耐の賜物でしょう。 中国を語るには、これだけの補助線をそれこそ幾重にも引かなければ、頓珍漢な結論を引き出すのが関の山です。 1945年8月15日時点の中国を含めたユーラシア情勢、満州事変以降の「日本、国民党、中国共産党」三国志から、最も優勢だった日本が突如消滅した瞬間、この時、中国に強固な橋頭堡を構築していた列強は皆無でした。 米国は日本(民政)と朝鮮半島南部(軍政施行)を占拠してそこで進軍を止め、ソ連と手打ちしましたが、そのソ連も同年8月14日に蒋介石と条約を締結、朝鮮半島北半分占領後、満州からは条約を遵守して可及的速やかに撤退しています。 英国は香港を取り返すのがやっとで、他の租界、租借地は手放さざるを得ませんでした。 蒋介石は旧日本軍を速やかに帰国させ、一種の傭兵として活用することはありませんでした。 要は第二戦線でしかないのでしょう、アジアは、中東より価値が低いから第三戦線でしょうか。 世界の目は欧州、就中、ドイツに注がれていました。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-12-08 00:53
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