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小誌のパソコンでは「東三省」が一発で出てこないので、中国東北部に触れる場合、満州(国)の用語を使用致しますので、予めご了承願います。
満州地区は中国でも人口構成が少し特異で、人口の9割が漢民族(華人)だからここもそうかと言えば、少なくとも満州国建国以前はさにあらず、ここは本来、女真族(満州族)の父祖の地で、北京に赴いた満州貴族は不在地主でした。 五族協和の内、派手に暴れまくった末に日本海に転がり落ちた大和民族はここでは措くとして、石原莞爾等が満州国の理想として五族協和を挙げたのは、満州族、蒙古民族、華人、朝鮮族の人口比率が中国「本土」と異なっていたからだと考えられます。 そしてこの四族ですが、満州人と蒙古人はそれぞれの八旗の元に集って皇帝に忠誠を尽くす程ですから関係が近く、しかも現地で支配階級を構成したのはこの両族と考えても、さして荒唐無稽ではありますまい。 ですから満州の当時の「世論」は、満州族と蒙古族が決めると言っても過言ではありませんが、この二集団は「親共産」とまでは行かなくとも「反国府」的傾向が強いのは当然です。 自分達が誇る清朝(=大清)を滅ぼして辛亥革命に邁進したのは、「国民党」の孫文です。 人間には「理屈抜き」と言う部分があります。 満州の現地人の多くが国民党に反感を抱いたとしても不思議ではありません。 後に「化外の地」台湾への転進を余儀なくされた蒋介石ですが、この人物の基本思想は「小中華主義」、歴史で言えば明朝(=大明)に近いです。 政治的には妥当な考えでした。 日露戦争の戦勝国日本が南満州に着々と勢力を拡大して行きましたし、帝政ロシアもその時点で革命によって瓦解することは計算に入れられませんし、グルカ兵擁する大英帝国はチベットを睨んでいますし、この時点で列強はロシアが弱体化しただけで、根本的には変化がありません。 北伐時点でもドイツとロシアが脱落し、中国への圧力は相当緩和されましたが、代わって「陸の王者」として登場したのが大日本帝国で、この帝国はややこしくて、「東アジアの陸の王者」であり、「近海に限れば海の覇者」でした。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-12-14 08:57
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