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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

汪兆銘の功績

中公新書「漢奸裁判」を読んでいて痛感するのは、汪兆銘の妻(陳氏)の実家が広州や福建の事実上の支配者であったり、南京脱出に追随しなかったけれど貴州や雲南の兵力を当てにしていたり、この事実から群雄割拠=軍閥による分裂支配の後遺症と言うか、その構図は残っていた印象を受けます。

例えば広州には日本軍が進軍していますが、汪兆銘が南京国民党政権を樹立する以前も以降も、日本軍と現地勢力との戦闘行為は、少なくとも特筆される程度のものではありません。

おそらく日本軍が掃討するまでもなく、蒋介石系の軍隊は広州から逃げ出しているか降伏しているかで、そもそも蒋介石の影響力が小さい広州で蒋介石に忠誠を尽くす軍隊が存在したかどうかも怪しいです。


戦争は勢力と勢力との「接触面」で起こるのが通例で、日中戦争を引き合いに出すと、南京(首都)に迫った日本軍を観た蒋介石は、最初は漢口に、次いで重慶に政府を移し、対する日本軍は漢口を占領後、重慶に軍を進めますが、陸上攻撃と並行して重慶空爆を、当時としては絨毯爆撃と言って良い規模で敢行します。

汪兆銘氏の立場と言うのは、GHQ統治下の吉田茂総理に似たものがあり、占領軍と国民の間に存在する緩衝材的役割を持っています。

その存在意義としては「GHQ(占領軍)と国民を直接対決させないこと」にあり、現に少なくとも民政は汪兆銘政府が掌握しています。

何よりも前線と言う名の接触面が西方に移ったのですから、一時的混乱を除いて汪兆銘政府支配下の国土では戦争はなかったと言えます。

従って日本軍制圧下の領土は、刃向かわなければ国民生活が安定し、命の保障も確保され、無茶苦茶な課税や搾取もなかったのに対し、頭から爆弾を落とされた重慶政府は、狭くて肥沃でない地域に立て篭もりながら戦うのですから、支配下の住民の負担は凄まじいものがあったと思われ、中国共産党に至っては、あれは「対日抗戦」ではなく「逼塞」としか表現の仕様がありません。

広州を初めとする中国の多くの領土で、本当の地獄が始まったのは日本軍が退いてから、まず「地獄の大魔王」として登場したのは蒋介石でした。

(続く)

by 4kokintou | 2011-01-26 23:45
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