現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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「近代」と「近代以前」の違い

中国を取材した報道に接した際、「警察は頼りにならない、夜になると暴力団を連れてくる」と言った主旨の被害住民の発言を耳にすることが少なからずあります。

警察が暴力団を養っている場合もあるでしょうが、「昼の顔」は警察官、「夜の本性」は暴力団と言う連中も多いのではないかと思われます。


重慶は可哀想な街で、大日本帝国陸軍に追いまくられた蒋介石が「ここまで来れば大丈夫だろう」と仮の首都としたのがこの地でしたが、「近代」を舐めんなよとばかりに日本軍が敢行したのが重慶爆撃、ゼロ式戦闘機が初お目見えしたのも一連の爆撃に於ける護衛機としてで、米国軍事顧問率いる米国製迎撃機は片端から撃墜されました。

その際に「焼夷弾の楯」になったのが現地住民、小中華主義の蒋介石のことですから、重慶が焼け落ちても子飼い軍団が無傷ならそれで良しと割り切っていたでしょう。

この時期の重慶現地住民は、軍糧を課され兵士として若者は徴集され、挙句に放り出されて焼夷弾の雨霰を逃げ惑い、そして蒋介石とその私兵達と言う余所者の安全確保のための防空施設建設に狩り出され、地獄絵とはまさにこのことかと言った光景だったでしょうが、抗日戦勝利も現地住民に幸福をもたらしませんでした。

国共内戦の期間中、状況が対日戦争時より好転したとは考えられませんでしたし、特に紅軍と言う名の中国共産党系弱小軍閥がこの地を占拠した時、「蒋介石に加担した人間集団とその拠点」ですから、街と住民全体が「懲罰、粛清、矯正」の対象と言えます。

そんなけしからん連中を紅軍が見逃す筈がなく、「漢奸」ならぬ「蒋介石奸」狩りは熾烈を極めましたでしょうし、その過程で富の強制移転も断行されたと思われます。

その上で重慶に「支配者」として乗っかったのが、薄煕来前党中央政治局員の父親薄一波率いる雲南軍閥、まさに「農村が都市を包囲する」ならぬ「地方(軍閥)が都市(民)を搾取する」、重慶は雲南派にとって「私領」に過ぎず、現地は忠誠を誓う「公安兼暴力団」に任せ、その裏付けが国営(国有)企業だったと考えられます。

それはならぬと党書記として現地に乗り込んだのが汪洋氏、真意は軍閥からの「重慶解放」にありますから民間滋養路線をとりました。

対して後任は雲南軍閥のお坊ちゃま薄煕来氏、前任者に「私領」の既得権益を散々削られていますので、「打黒」=暴力団追放運動と称して重慶現地人を片っ端から暴力団関係者として捕らえ、財産を没収して私欲(軍閥欲)を肥やしています。


汪洋広東省党書記(現職)の重要性を鑑みた場合、李克強「次期」内閣の陣容(=常務委員序列)を以前は下記の通りにしていましたが、第七位(張徳江氏)と第九位(汪洋氏)を入れ替えるべきと思われます。

1955年生まれですから10年間は党中央で活躍出来ますし、この人物が上位三傑に飛び込む可能性があるだけで、「団派式開放路線」の象徴になります。


第一位:李克強「国家主席、国家中央委員会主席」兼「「党中央委員会総書記」
第二位:王兆国「全人代委員長」
第三位:王岐山「国務院総理」
第四位:劉延東「政協会議主席」
第五位:令計劃「党中央精神文明建設指導委員会(思想統制、異端審問)」
第六位:李源潮「中央書記処第一書記」
第七位:張徳江「筆頭副総理」→第九位へ
第八位:何勇「党中央規律検査委員会書記(所謂「汚職糾弾委員会」)」
第九位:汪洋「中央政法委員会(諜報、公安、警察、検察、司法管掌)」→第七位へ

(続く)
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by 4kokintou | 2012-06-19 12:21
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