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中国上海の期限切れ鶏肉問題には思わず苦笑してしまいましたが、安さを売りにする小売業者が依然として、中国に頼らざるを得ない実態も浮き彫りになって、あらためて納得した次第です。
勿論、日本だってこの種の事件が根絶した訳では無く、夫婦で営んでいる零細小売店が、終業後に賞味期限を書き換えていても決して不思議ではありません。 問題は何処まで「良心的」か、爺ちゃん婆ちゃんが賞味期限のシールを貼り換えても、日本の場合は賞味期限そのものの定義が厳しいですから、貼り換えて少しくらいずらしても特に問題はありませんが、老夫婦に法令に抵触していると言う罪の意識は間違いなくあります。 これに対し、中国人は罪の意識が磨滅している、麻痺しているのではなく敢えて「磨滅」としたのは、麻痺ならば存在しているけれど機能していないだけなのに対し、現実には代を重ねる毎に倫理観そのものが低下し消滅していると思われるからで、従って1840年の阿片戦争以降の退化」(小誌の時代区分に従えば「退世」)が、一向に止まっていないと理解せざるを得ません。 唯一の超大国(米国)と張り合える存在と言う夢物語(と言うか「妄想」)に浸るのは自由ですが、その衣を剥がして実像を直視すれば、国民の幸福や安寧は二の次、率直に言って最高権力者から社会の最下層の住人に至るまで、「世の中より自分、他人より己」の一点においては、意見が一致しています。 今の中国にその様な余裕はなく、まずは全ての国民の生活を保障すること、そのために遍在する富の再配分を実施すること、これに尽きます。 この10年は所詮徒花の狂い咲き、代を追う毎に「負の遺産」が加速度的に増加している事実を中国は朝野を挙げて認めるべきなのです。 親の悪行をみて子供は育つ、その子も長じて、社会でもっと酷い悪行を知り、それが次の代になると最初から消化された形で受け渡される、小誌は明治維新を論じた際、「革命は数世代に亘る」との観点から、明治維新の目標(富国強兵、殖産興業)が達成された段階を、中曽根総理の「不沈空母」発言に求めました。(沈んだのは旧ソ連です) 一時的な繁栄で目がくらむのは致し方ないとしても、趨勢として「退歩」に変わりはないと認識さえ出来ていれば、もう少し違った展開になっていたでしょうし、その繁栄も終わりを告げつつありますから、それまでに富の再配分を通じて国民生活を保障出来るか、最近の汚職摘発も突き詰めれば、国家経済と国民生活を守ることが大事か、それとも特定の人間集団の既得権益が優先されるかと言う、長年の政治課題に決着をつける作業とも言えます。 (続く)
by 4kokintou
| 2014-07-26 18:52
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