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またぞろ、「職業保守」が騒ぎ出すんでしょうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080821-00000868-reu-int (中国軍がチベット群衆に発砲、死者140人の情報も─ダライ・ラマ=仏紙) 中国人民軍がチベット民衆に発砲したらしいですが、報道内容が事実とすれば、上海(江沢民派)の差し金でしょうね。 その証拠に次回10月開催予定の中国政府とチベット側の非公式会談はお流れになっていません。 ひょっとして、何かとお世話になっているフランス政府へのリップサービスじゃないか、最初はそう疑ったほどでした。 まあ、もがけばもがくほど蟻地獄に堕ちて行く、江沢民一派とゴールドマン・サックスの現状でしょうね。 秦は始皇帝の時代以前から、中国(と言うか「中原」)全土を占領したいと言う意思を持っていましたが、「統一」する意思は最初からありませんでした。 自国より東の地域は「占領地」か「植民地」くらいにしか考えていなかったのではないでしょうか。 結果的に「統一」し、度衡量も一本化するなど、古代中華帝国の建設に邁進しますが、それはあくまで結果論であって、己に必要な部分だけ統一したのではないでしょうか。 ですから、最初から統一後の政策など持たなかったのです。 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康は「統一」するつもりがあったから、その前から統一後に備えた構想を持っていました。 ですが、「中原」の住民が秦を「化外の地」と考えていたように、始皇帝も旧六国を「中華」や「シナ」の範疇で理解してなかったからこそ、「統一政策」はなく、そこのあるのは「占領地政策」又は「植民地政策」でした。(ですから周も平気で滅ぼせたのです) そのための方便として法律、つまり法家思想が採用されたのです。 その考えは大間違いでした。 (続く)
by 4kokintou
| 2008-08-22 20:23
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