現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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科挙ほど簡単な試験は無い

「最難関」の誤りではありません、「最簡単」です。

科挙に不正が皆無であったとしても、「最難関」ではないです。

宗族と言う補助線を引けば腑に落ちます。


胡さんと言う名族からすれば、殿試に至るまでの無数の試験は、受験生各人にとっては過酷でしょうが宗族全体からすれば何のことは無いです。

郷試から始まって(郷試が最初だっけ)殿試に至るまでの倍率が100倍だとすれば、100人に勉強させて受験会場に送り込めばよいですし、科挙は3年毎に開催されるので、その度に一族の若者を送り込めば良いのです。

とすれば個人にとっては辛い受験戦争でも、一族の単位で言えば確実に官僚として職責を与えられることになり、3年毎に追加してくれる訳ですから、科挙を実施してくれる王朝である限り勢力を維持拡大することが出来ます。

事実、人材登用を科挙に一本化した北宋において、最初に発生した問題は冗官の処遇です。

つまり科挙を実施する限り、一定期間に一定人数が官僚の座に付くことになりますが、実施早々に必要な役職を超える官僚集団が出来上がってしまったことになります。

そして如何に「北宋以降」の絶対君主制が建前であったか、冗官が発生しようが国家財政に負担を強いようが、科挙は実施されたことで理解出来ると思われます。

更に言えば、王安石の改革はこの大量冗官の存在を背景にしては語れないのではないか、そう想像しております。

京都学派の説に従えば、「北宋以前」は貴族政治、「北宋以降」は士大夫層(=宗族=地主)中心の政治と言うことになりますが、この宗族政治、それ以前の貴族に優るとも劣らぬほどの既得権益の我利我利亡者です。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-30 22:42

私は幸せ者

体調が安定しないし、肉親の面倒は続けなければならないし、他人が羨ましいと思っていた己の不明を恥じ入る次第です。

まさに此処に如何なる社会的成功者も得られぬ芳醇な知的興奮があり、快く受け入れてくれる読者を持つ幸せに気付かなかった自分が愚かでした。

あらためて、小誌を立ち上げて以降の全ての真摯なる読者各位に、心より感謝申し上げます。


毒入り餃子事件が一件落着した様子ですが、あの外務大臣を称する岡田克也なる愚物に、「中国人に借りを作る」、「中国人が己の手で面子を潰してまで物事を解決する」ことが、どの様な意味を持つのか、生涯理解出来ないでしょう。

そもそも岡田某は、己の頭に中で整合性(なんて上等なものではなくて「辻褄」、否、「思い込み」か)が成り立てば、周りもそれに沿って動いていくれると考えているお目出度い御仁で、馬鹿は死ななきゃ治らない。

これからの中国は、悉く岡田の意向に背く形で動くでしょうね。

まず誰も会ってくれない、右と言えば左に動き、答を求めればダンマリを決め込む。

「胡錦濤革命」は緒についたばかりですが、それでもこれだけの「加速」が付いています。

中国人の一部に劣等感から来る大国意識が復活しつつあるのは気掛かりですが、それでも「張子の虎」でしかなかった文革期の中国、或いは享楽と腐敗に最高の価値観を与えた江沢民時代と比べると、中身の詰まった国になりつつあります。

もうすっかり使わなくなった「戦略的互恵関係」、その意味さえ分からないのだから(多分、理解が必要との問題意識もないでしょう)外交に支障をきたすのは当たり前です。


別にマルクス・レーニン史観を中国史に無理矢理当てはめたり、ましてやスターリンの考えに肩を持つ気はありませんが、どう考えても1949年の共産中国建国はプロレタリア革命ではありません。

ではブルジョア革命か、そうでもないです。

どこかで中国はいずれの先例にも属さない、特殊な革命の歴史を紡いでいるのではないのか、鍵はやっぱり孫文ではないでしょうか。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-29 21:59

時は移り

少し前の報道ですが、中国と英国の「戦略対話」が閣僚級に引き上げられたそうで、鳩山政権になって愛想を尽かされてすっかり「戦略的互恵関係」と言う政治用語を使って貰えなくなった日本としては羨ましい限りですが、いずれにせよこの種の対話の場合、窓口が誰かでその緊密さが理解出来ます。

英国側はミリバンド外相、中国以外の国では首相の直属閣僚ですから、これは問題ありません。

対する中国は戴秉国国務委員、二階級特進です。

もうすぐ総選挙を迎える英国との関係を格上げする中国側の思惑は計り知れませんが、英中関係の過去を知るものとしては慨嘆を禁じえません。

日中の明暗を分けたのは、「中国は南から、日本には東から」西洋文明の本質たる帝国主義の魔手が忍び寄ってきたことです。

日本も「南から」来ていてもおかしくなかった(と言いますか、ある意味「千客万来」でした)のですが、開国の先鞭をつけたのは米国でした。

対して中国と接触したのは英国、列強の雄で当時の最強国、つまり最も獰猛な国です。

阿片戦争は世界の横綱とアジアの「自称」横綱の対決だった訳です。


貿易相手国(清=大清)に散々ご禁制の阿片を売りつけといて、相手が怒って阿片を焼いたら、それを口実に戦争を吹っかけて完膚なきまでに叩きのめす、これで東西の横綱対決は「勝負有り」となりました。

ですから、英中関係はその表面的部分だけを掬い取っても、

阿片密貿易で英国大儲け → 戦争で相手をボコボコ → 賠償金で大儲け

これでも飽き足らないから後にアロー戦争をけしかけています。


別に米国人が英国人よりも紳士的は思いませんが、この時期、少なくとも国際社会では紳士的に振舞う必要がありました。

米国は英国の植民地だった国で、その建国の精神は「反植民地主義」です。

ですから自国企業が扱う阿片を燃やされたからと言って、最終的に領土を割譲させ、多額の賠償金をせしめることは出来ません。

しかも日本は列強にとって「中国侵略」の足がかりですから、米国が独占することは叶いませんし、その力量も同時は持ち合わせていません。

現に開国の立役者は米国ですが、主な交渉相手国は何時の間にか大英帝国に入れ替わっています。

この辺り、当時の幕閣も含めて、維新前後の政治家をもっと高く評価すべきと思われます。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-24 09:59

雑感あれこれ

肉親の介護並びに原状回復支援に疲れ果てて寝転んでいると、中国関連の話題が走馬灯の様に脳裡を駆け巡ります。

「中国現執行部もとうとう鳩山には愛想を尽かしたな。少し前まで駐日大使だった王毅を鳩山と面談させるなんて。それにやはり戦略的互恵関係と言う表現は使っていない。米中両大国から見放された鳩山政権は程無く崩壊するな」

とか

「橋下大阪府知事はよく言った。唐家璇との会談後に、小沢一郎にも働きかけて云々と言ってくれたお蔭で、一般人にも小沢が江沢民一派と癒着していることが白日の下に晒された」

或いは

「文化大革命時の中国人にとって、日本の進歩的文化人ほど癇に障る存在は無かっただろうな。当時の中国人の多くは、笑い顔を見せながら、拍手をしながら、文革を賞賛しながら、血の涙を流していたのだから。事情の分からない無神経な連中のお追従は、傷口に塩を塗る以外の何物でもないでしょう。」

なんて考えてしまっていました。


今、頭の隅(真ん中?)にあるのが、「中国国民が毛沢東を選んで蒋介石を捨てた理由(おぼろげに分かってきました)」、「共産中国建国は断じてプロレタリアート革命ではない。では如何なる種類の革命なのか」等ですが、今の中国も見逃せません。

或いは「馬賊(軍閥)」、「馬英九」などにも触れなければなりませんが、今は徳川家康を取り上げたいと思います。


徳川家康の業績を挙げろと言えば、何と答えるか。

何よりも「永楽通宝等の中国銭の使用禁止」、そして「人身売買の禁止」です。

日本と言う国は長期間に亘って非常に生温い国で、貨幣鋳造権を長年放棄してきました。

これで独立国家と言うのもおこがましいのですが、その状態がおかしいと気付いたのはおそらく織田信長でしょうが、信長には貨幣を鋳造する暇がありませんでした。

豊臣秀吉の時代は過渡期で、大判を鋳造する一方、永楽通宝の黄金版を勝手に造っています。


人身売買は奴隷制と表裏一体を成す関係にあり、これが存在する以上、国家は安定しません。

武田信玄は軍資金が足りないとみるや、攻め落とした城の女を家臣に対して「競り市」にかけています。

人身売買が存在する限り、幾ら高貴な身分であっても明日は知れないのです。


ここに中国に戻りますと、現代中国すら「徳川家康以前」なのではないでしょうか。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-22 22:00

通説を疑い、定説を打破する

太平天国の乱の時点で、清(大清)の主力戦力が使い物にならなかったと言うのは、決して真に受けてはいけません。

反乱勃発時の皇帝の立場に我が身を置けばすんなりと理解出来ますが、その前に清の軍制を確認しておきますと、忠誠心の強い順に並べると、

満州八旗 → 蒙古八旗 → 漢軍(漢人)八旗 → 緑営 →その他部隊(雑兵)

清王朝が信頼を寄せるのは精々緑営まで、蒙古八旗の立場と信頼感が高いのは、摂関政治時代の「天皇家+藤原家」の関係の、藤原家の方をモンゴル部族が担っていたからで、要は代々の嫁さんの実家です。

ここまでを親藩とすれば、漢軍八旗は譜代で、緑営は外様でしょうか、でも謁見しているほどですから、信頼は強いです。

そして特に異民族王朝の場合、信頼出来る軍隊ほど手元に置くものです。

とすれば満州八旗から少なくとも漢軍八旗間では確実に、その大部分は皇帝の在所たる北京とその周辺に集中して配備されている筈です。

しかもこれらは「最後の切り札」ですから、逆に言えば江南で暴れている連中如きに差し向けるのは勿体ないです。

しかもこの時期、清朝は英仏と言う、列強の中でも横綱、大関級の国家と悶着を起こしていた時期もありますから、北京を強襲するとすれば西洋列強の方でしょう。 

現実に首都や急所を狙った太平天国の別働隊は、敗北を喫しています、本気を出されたから。

「大事なのは漢人八旗か精々緑営まで、漢人は基本的に使い捨て」

これが異民族王朝の本音です。

(続く) 
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by 4kokintou | 2010-03-10 08:09

通説を否定する

特に中国史の場合、現代史も含めて、と言うことは毛沢東も含めて、「定説」「通説」の類はまず疑ってかからねばなりません。

例えば、「乾隆帝の後継者嘉慶帝が即位した時点(1796年)で、清(大清)の人口は100年前(入朝時点?)から倍増(2億人→4億人)したけど、耕地面積は10%しか増えず、農民層は困窮に陥った」と言った説明がWikiにも掲載されていますが、笑わせてくれます。

人口が倍増する間に耕地面積がほぼ横這い、単位当たり収穫量に変化が無く、この間の穀物輸出入は大勢に影響が無い数量とすれば、100年前の時点で「収穫量=需要」とすれば、遅くともその10年後には清朝は農民反乱で滅んでいるか、農民全員が餓死しています。

逆に嘉慶帝即位時点で、「収穫量=需要」になったのであれば、それまでの100年間、穀物は余りに余って採算割れ、100年前に農民は全滅です。

世界史の教科書を読めと言いたい、山川の「左翼欽定教科書」で構いませんから。


嘉慶帝は知らなくとも康熙帝を知らない大人は少ないと思いますが、連想ゲームで「康熙帝」と言われて「三藩の乱」と言う正解が早い段階で出なければ、歴史音痴ではなく阿呆です。

三藩の乱の結果、清朝は名実共に統一国家になりました。

つまりそれ(1681年、争乱終結時)以前は、三藩の支配地域の人口や耕作地は把握出来ません、三藩が教えてくれませんから。

ましてや徴税権が及びません。


漢民族王朝の明(大明)を滅ぼしたのは漢民族で、異民族王朝の清を戴いたのも他ならぬ華人です。

穀物収穫高を論ずる場合、「平年作」を基準に考えるのはそれが該当しうる時に限られます。

明は平年作を維持することすら出来ず、豊作なんて夢のまた夢の政権に成り果てたから見捨てられました。

清は三藩の乱を鎮圧した時点で、掌握する人口も増えれば耕作地も倍増(以上)、徴税範囲も飛躍的に拡大しました。


税の負担者である農民が「困窮した」理由は、別の所にあるのです。


「太平天国の乱の時点で、満州貴族は軍人として使い物にならなくなっていた」も大嘘。

それにしても、教科書って嘘に満ち満ちていますね、「毛沢東伝説」も含めて。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-08 07:45

毛沢東とは? 蒋介石とは?

国共内戦とそれに続く共産中国建国が、革命から程遠いものであることは、それが成就した瞬間にそれまでの支配階級を抹殺したロシア革命と比較すれば明らかです。

ロシア革命は帝政を打倒した第一次革命(=ブルジョア革命)と、ケレンスキー政権を打倒してボルシェビキが権力を掌握した第二次革命(プロレタリア革命)とに分かれますが、ロシアでの革命はこの二段階方式になると予言していたのがレーニンで、ただブルジョア革命もプロレタリア革命も、プロレタリアが担わなければならないと説いたのです。

ですから、少なくともレーニンの思想(イデオロギー)には忠実であった、あのグルジア人とオセチア人の混血児スターリンは、この「遅れた地域に於ける」二段階革命論に固執していましたから、中国についてもまずブルジョア政党国民党が政権を掌握し、然る後にプロレタリア政党たる中国共産党が権力を奪取する手順以外、全く念頭にありませんでした。

共産党中国の建国まで、ソ連が中国共産党を相手にしていなかったのは事実で、だから軍事面を含め援助はあまり熱心ではありませんでした。

このため中ソ関係は冒頭から気まずいものとなりました。


「大祖国戦争」以降のスターリンと言えば、共産主義の最高権威、彼の発言は「天の声」で必ず達成されなければなりません。

その無誤謬性に叛旗を翻した最初の人物が旧ユーゴのチトーであるならば、無言ながらその革命理論を破綻させたのが、国民党を打破した中国共産党でした。

西欧はブルジョア革命を遂行することは出来たが、それをプロレタリア革命に繋げることには失敗しました。

ブルジョア革命をプロレタリアが代理遂行することで、世界で初めてプロレタリア国家を誕生させたのがボルシェビキです。

「遅れた国や地域」ではこの方式しかないのに、「ブルジョア革命抜き」で一直線に共産主義国家を建国させて、スターリン大元帥様の面子を潰した「ど阿呆な共産主義政党」が、ソ連の隣国に誕生したのです。


中国側からすれば「ソ連より進化した革命方式」を編み出した訳で、共産主義国家としては後輩だけれども、こちらの方が優秀と言う自尊心があります。

ですが、正しかったのはスターリンです。

翻って「毛沢東と蒋介石の殴り合い」って何だったのか、基本的には単なる「私闘」で、強いて言えば無意識の内に遂行した「ブルジョア革命」です。

忘れ物が残りました、「プロレタリア革命は何処へ行ったのか」

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-07 00:55

パンチェン・ラマ

中国共産党公認(?)のパンチェン・ラマが政協委員の選出され、しかも同会議の副主席の椅子が約束されているとか。

「分断工作」と非難するでしょうね、職業保守の皆さんは。

「高度な自治」は認められない中国共産党からすれば、今回の措置は「低度の自治」への瀬踏み(共産主義と宗教に折り合いをつける)であり、同時に「宗教の公認=共産主義政権下での信仰の自由」を何処で線引きするかの試行錯誤、実験と思われます。

今回の選出は、中国共産党幹部とダライ・ラマ側要人との一連の協議で、相互に了解済みのことで、従って今回の決定に伴い、チベット側が「暴れる」ことはありませんし、何らかの理由で社会不安を煽る連中は、チベット側が抑えると考えられます。

そしてこれは、チベット限定の呼びかけではなく、国内の全ての民族、全ての宗教及び宗派に対する呼びかけです、「如何にすれば共産主義と宗教は共存出来るのか」と言う問題提起、神学論争への招待状です。

今日(3月5日)から始まる全人代、北京は全面的に相当踏み込んで来るのではないでしょうか。


宮崎市定氏の著書を読んでいて、「山東省革命委員会」なる言葉が出てきたのですが、そう言えば文化大革命当時、やたらと「革命委員会」だの「革命評議会」だの、革命の二語が無ければ公認組織にあらずの感がありましたが、ふと思ったのですが、紅衛兵も含めて、これらは全て「令外の官」ではないのか、そう言う疑問が湧いてきました。

要は法的裏付けのない、私的組織、団体のまま成立し、終焉を向かえたのではないでしょうか。


今、「革命委員会」が中国にどれだけ存在するのか存じ上げませんが、表舞台に出ることはまず無いです。


「文化大革命」なる言葉の発案者は、おそらく毛沢東でしょう、そして用語に全てを込めています。

「大」はさておき(と言っても国共内戦よりも「大規模」でした)、革命と言う以上、其処には闘争が伴い、打倒されるべき階級が存在します。

「文化」も決して削れない言葉です。

それまでの文化の担い手は、文革勃発時でさえ旧宗族階級であったと仮定すれば、毛沢東の真意が理解出来ます。

「お前達の文化も生活様式も思想も習慣も、そして集団そのものも磨り潰してやる」

とすると、次の結論も得られます。

「国共内戦及び共産中国建国は、決して革命の成就ではなく、権力闘争に過ぎない」

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-06 00:31

お知らせその他

まず、出来れば本日(3月4日)から、毎日は無理でしょうがなるべく入稿頻度を多くすることを目標にしながら、休眠中のブログ「現代の超克」を復活させる所存です。

小誌は中国問題に特化していますが、それ以外にも取り上げたい話題は多々ありますので、時間と体力の許す限り、入稿したいと愚考しています。

「現代の超克」は当初、個人的書評の開陳を目的としていましたが、肝心の「読んだ書物」が底を尽きてしまい休眠に追い込まれたと言う、執筆者の無計画性と読書歴の底の浅さを露呈したブログですが、今回は分野と形式に捉われずに、書き残すべきと判断した事柄を扱う考えです。


ご連絡事項はこの位にして、「雲南信息報、重慶時報、南方都市報、城市晩報、遼瀋晩報、新安晩報、大河報、都市時報、華商報、経済観察報、東南時報、安徽商報、内蒙古晨報」の13紙が、「向こう見ずにも」共同社説を一斉掲載し、現在の戸籍制度は「憲法違反」と主張したそうです。

内容から言って事前に当局(=現政権)のお墨付きを得ているのは明々白々で、その内容もさることながら、現指導部が押さえている(或いは新たに掌握した)地域一覧の感もあります。

3月5日から9日間の日程で全人代が開催されますが、ひょっとして「画期的な」大会になるやも知れませんし、大会の前後に経済及び金融政策の大転換が断行されるかも知れません。

既に北京の地価は暴落を始めているそうです。


それにしても上海万博、扱いが小さいです。

大阪で開催された万博(入場者数6,400万人)を上回る来場者を見込んでいると言うのに。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-04 12:44

そして時は流れ

歴史には「流れ」があります。

その流れは蛇行したり激流と化したり、或いは坂道を駆け上ったりすらします。


職業保守の論客が使いたがる「媚中派」なる用語になぞらえば、「康熙帝-乾隆帝」の系譜は「媚宗族階級派」で、 「雍正帝ー嘉慶帝」の系統は「反宗族階級派」です。

ところで、中国共産党中央委員(候補)以上で、唯一「原籍地」を明記している胡錦濤「現」国家主席と、「漢奸」の元締めみたいな人物の血を受け継ぎ、「東洋鬼」あらため「鬼子」の手先の側に属していた江沢民「前」国家主席を分類しますと、「現」国家主席は雍正帝側の色合いが強く、「前」国家主席については既得権益をしゃぶり尽くす様相しか見えません。

とすると、どこかで「支配階級」が入れ替わったことになります。(厳密には「入れ替わりかけた」でしょうか)


話はそれますが、先日カナダへの留学生の件で貴重なご教示を頂きましたが、ではその階層別比率は如何なるものなのか、「旧家=旧宗族階級」が多いのか、「新興=成金≒裏社会」出身が多いのか、「疎外された人倫の完全なる喪失態=農民」なのか、鍵は「もう懲り懲り」、「愛想が尽きた」ではないでしょうか。

勿論、中国人得意の危機管理、危険分散もありますし、一旗挙げてと言ったある意味切ない一族の想いを背負った人もいるでしょうが、「文化大革命はもう懲り懲り」、「中国には愛想が尽きた」と言った動機が多分にあると思われます。

そして「よそ者に寛容で待遇が良くて一家や一族を引き連れても怒らないで、それでいて先住者人口の少ない所」となれば、限られてくると思われます。

例えばバンクーバーの場合、人口の3割が中国系だそうですが、何時から彼らが住み着き始めたかは存じ上げませんが、集中豪雨の如く中国人が「降ってきた」印象を、白人系カナダ人は持っているのではないでしょうか。

日本人は自由に海外に行って戻ってこなくとも怒られない、中国人は渡航すら限られているのに必死になって海外に出たがります。

それ程凄まじい階級殲滅戦だったのでしょう、文化大革命は。

書いていて哀しくなる定めを背負った国民なのでしょう。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-03-04 01:46