現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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新疆ウイグル

世の中には心血を注いで何かを作り上げる篤志家がいらっしゃって、これなども目次と人物紹介だけですが、大変な労作であることがうかがわれます。

http://www.mmjp.or.jp/sososha/pdf_file/mokuji_jinbutujiten.pdf
(解説 中国党、政、軍指導者の資格、条件)


早速利用させて頂きまして、今話題の王楽泉さんを調べたところ、新疆ウイグル地区党書記兼共産党中欧政治局員、ここまでは良いとして(山東省の)共産主義青年団出身、つまり広い意味の「団派」です。

ただ客家にも色々ござんすと同様(私見ながら鄧小平がピンならば毛沢東はキリだと愚考しています)、団派にも色々ありまして、胡錦濤国家主席は中央の本流中の本流ならば、そうでない地方の「団派」もあって、上海市長の韓正も傍流の出身だそうです。

ですから団派と言っても王楽泉氏の様に現地に居座って中央の威令に服さず、云わば反中央「団派」として反独立的色彩を強める輩もいますから、今回の更迭劇は中央団派の領袖たる胡錦濤国家主席とその周囲にとっては大きな成果です。


後任の張春賢氏については不案内ですが、面白いのは一説による事態収拾のために現地に派遣されたのが、何と「習のお坊ちゃん」こと習近平国家副主席。

胡国家主席が踏み絵を踏ませたのか、それとも独断で赴いて現地の権限維持掌握を試みたのか、その辺りは判然としませんが、国家副主席のする仕事でもなかろうと言うのが率直な感想です。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-29 22:56

革命税

中国共産党は放浪する先々で「革命税」なるものを取り立てたらしいですが、本来なら勝手に税を徴収したら、絶対に恨まれます。

にもかかわらず毛沢東には、年配の農民を中心に熱狂的な支持者が存在します。

この矛盾を如何に解釈すべきか、鍵は税率にあります。


その前に確認すべきは、宗族の定義と言うか、社会的立場です。

まず、「宗族=士大夫層=地主=読書人(知識階級)」と、等号で説明されるように、宗族階級はその本家を中心とする「不在地主」層です。

そして特に異民族王朝の場合、その民族の貴族層(上流階級)が宗族の扱いを受け、実質的に支配階級を形成します。

これが見事なまでに成功したのが清(=大清)で、明が滅びて清が入朝した際、60万人の満州族が明の旧領に乗り込んできましたが、彼らは八旗を中心とする云わば皇帝の私兵かつ親衛隊であり、その忠誠心は満州族皇帝に向けられていました。

同時に満州を後にしたそれら親衛隊は、残してきた満州の所領の領主=不在地主になりましたが、この不在地主の座が安泰である限り、満州族の親衛隊が疲弊することはありませんでした。


太平天国の乱においても、自身の身の上が危なくなった場合を除き、つまり首都北京が陥落するか、満州が荒らされたりしない限り、親衛隊の出る幕ではないのです。

しかも中国の場合、軍功を挙げたものほど後で足を引っ張られて失脚する例が多々ありますから、反乱に際して武人は本気で働きませんし、ですから反乱が長引くことが多くなります。

加えて南半分の騒乱ですから、当時から一体感のない中国において、北半分の連中には無関係です。(経済的には痛いですが)

民族同化、これが中国人最大の「武器」なのですが、一体化出来るのは宗族階級だけでした。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-28 20:47

清朝最大の過ち

清(=大清)に止めの一撃を与えたのは、皮肉にも日本でした。

日露戦争です。

日清戦争は朝鮮半島を巡っての両国の争奪戦でしたから、戦場は当然、朝鮮半島になります。

日露戦争は朝鮮及び満州の支配権を巡っての戦いでしたので、満州(東三省)も戦場になりましたが、その満州の不在地主が清朝を支える満州族だったのです。

その満州と言う故郷であり収入源を荒らされたうえに、実質的に奪い取られたのですから、満州族に政権を支える経済的余力はなくなりました。

もう一つ、ほぼ同時期に清は大チョンボをやらかしています。

科挙の廃止です。(1905年、光緒帝末期)

誰が言い出したのかは存じ上げませんが、科挙が人材登用の用を成していないことと、その廃止とは別の話で、科挙の継続を望む声は、少なくともこの時期、単なる守旧派に堕した宗族階級の間で依然として強かったことは、容易に推測出来ます。

宗族にとってそれ以外の階級と一線を画するうえでも、経済的理由からも、科挙の効用はまだまだ大きかったと思われます。

しかも科挙に変わる人材登用の具体的手段を作らずに科挙を廃止したのですから、王朝側が宗族階級に絶縁状を叩きつけた様なもので、これにより満州族と宗族と言う政権を支える二本の柱が失われたのですから、潰れて当然で、しかも科挙の廃止には日本の躍進=(優れた)教育制度が影響していますから、結果として日本が清朝の末期の水をとった様なものです。

清朝が倒壊したのは1912年、愛想を尽かされた挙句の自壊ですが、これが更なる悲劇を生みます。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-28 01:25

客家にも色々ござんす

客家のことを語る前に、思わず唸って考え込んでしまったのは、あの林彪が当時(1923年)の社青団に入団していたことで、「社青団(後の共青団)は宗族の巣窟」と言う仮説が果たして成り立ちうるのか、今思案中です。(25年には黄埔軍官学校に入学しているので、社青団から席を抜いたのかも知れませんが)


旧宗族階級にも名家から辛うじて名を連ねる三流まである様に、旧胥吏階級にも周恩来を輩出した名家と大した権勢もない家もあるとすれば、客家も様々、むしろ一括りのするのが最も困難な階層ではないでしょうか。

客家出身の最初の著名人が文天祥で、その次が洪秀全であることから分かる様に、客家階級は清朝後期まで、一部を除いて下層階級を構成していたと考えられます。

ただ、乾隆帝時代の阿片の流行で宗族勢力に衰えの兆しがみえる一方、海外勢力と結びつつ裏社会の拡大と共に、客家がのし上がってきたのも事実です。

洪秀全は客家出身ですが、同時に読書人で、但し科挙に通るほど賢くは無かったです。

面白いことに中国最大の潜在的反体制勢力は、科挙の落ちこぼれで、黄巣もその一人です。

ですから客家も全体として裕福になりつつあったのが、乾隆帝末期から嘉慶帝以降の時代で、孫文が皇帝の首を刎ねた時点で、それぞれの階級の貧富の差は、以前より縮まっているのではないか、そう思われます。


太平天国の乱について一言。

小誌はこの反乱が清朝に痛撃を与えたと言う説に与しません。

体制側から言えば、もっと痛撃だったのは、日露戦争、それに科挙の廃止です。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-26 23:30

社青団(或いは共青団) 本編

その前身の社青団等も含め、共青団出身者は非常に多く、しかもインテリ層であることが特徴です。

(今知りましたが、ウイグル地区の党書記が交代したそうですが、背景が分かりませんのであらためて考察致します)

陳独秀:完璧な宗族階級出身、それも名族に属すると思われます

譚嗣同:共産主義者ではないですが、名族出身。

劉少奇:個人的見解ですが、当時の社青団のほぼ初期の一員であることを踏まえると、これも名族出身と推測されます。

任弼時:共青団総書記代理

胡耀邦、胡錦濤:国家主席殿自らが原籍地を明記しているのであるから(と言うか中央委員以上で原籍地を公表しているのは胡主席のみ)、当然名族、両者とも団のトップを歴任

あと胡適、国家主席と出身地が全く同じです。

蔡元培:この人は紹興の出身ですから、おそらく周恩来と同じ胥吏階級の、但し同様に名家出身と思われます。

温家宝、朱鎔基:いずれも「団派ではない、私見では首相の座は胥吏階級の「指定席」と思われます。(華国鋒はさておき)

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-25 00:00

社青団(或いは共青団) ~その前に「孫文」~

毛沢東のことを「無知で共産主義に対する理解が最も低い」などと評したら、それこそ中国の農民の方々に殴り殺されそうですが、殺されついでに(?)言えば、「孫文ほどな低脳な政治家はいない」です。

辛亥革命と明治維新を比較すれば一目瞭然ですが、日本の場合は主権者の交代(征夷大将軍→天皇)が円滑に出来ました。

これは次の候補(=天皇)を予め用意していたからです。

辛亥革命において、次の主権者が準備されていたか、或いはその手続きを定めていたかと言えば何にも無い、無計画も甚だしいです。

唐王朝が滅んだ時、各地が分裂しましたが、一つの権威が消滅した時、そこに現れてくるのは群雄割拠と言う名の、軍閥の跳梁跋扈です。

とすれば清朝滅亡後、次の権威を可及的速やかに樹立しないと国家は存亡の危機を迎えますし、それでなくとも政権交代時は何かと危ういのです。

「革命の父」だか「建国の父」だか知りませんが、孫文はそれらに該当しません。

「乱世の父」です。


孫文の政治音痴ぶりを遺憾なく発揮したのが国共合作、就中、個人の資格とは言え共産党員の国民党への入党を認めたことです。

内偵の入党を公認する様なもので、これでは機密情報は筒抜けですし、国民党は政党としての体を為しません。

共産党と国民党が対等の条件で手を組むのは有り得ますし、一方が他方の指揮下に入ることも可能です。(現に形式上とは言え、中国は複数政党制で、他党は共産党の指導下にあります)

孫文は国民党にとって最悪の選択をしたことになりますが、帝政を打倒した最大の功労者と言うことで、生半可ながら「権威」を持っていますから、馬鹿げた主張でも周囲は拒否する訳に参りません。(中国共産党が孫文を大切にする理由の本音はこれだと思います)

ですから当時の国民党は穴だらけと評しても過言ではありませんが、それを何とか纏め上げた蒋介石の技量は誉めざるを得ません。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-24 00:45

「団派」

「団派」と言えば中国共産主義青年団、これはもう専門用語と呼ぶのが憚られますが、現在の呼称になったのは創設後かなり時間が経ってからで、その淵源は1920年8月設立(上海)の社会主義青年団に始まりますが、この社会主義青年団と言うのはこの時期、各地で一斉に立ち上がっているうえ、中国共産党の発足そのものが1921年7月(上海)ですから、今でこそ共青団は「党の助手及び予備軍」(中国共産党規約第10章第49条)と規定されていますが、これは別系統の集団が無理矢理一本化されたと考えるべきかと思われます。

そもそも中国共産党にしてからが、当時のコミンテルンの肝煎りで「大同団結」した政党で、日本の民主党も真っ青の寄り合い所帯で、その共産党の指導下に各地の社会主義青年団を糾合したのは、1922年5月の広州、晴れて「中国」社会主義青年団が結成されました。

中国「共産主義青年団」になったのは1925年、1949年から56年までは別の名称ですが、57年5月に現在の名称に復帰しました。


何で社会主義青年団時代の「団派」にこだわるかと言いますと、ここが「宗族(それも名族)の根城」ではないかと言う疑問がどうしても脳裡から消えず、そう考えないと辻褄が合わない部分が多々あるためです。


それにしても中国共産党創設メンバーの顔触れは多士済々、意見が纏まるどころではありません。

ただ確実に言えるのは、結党時点で最も共産主義思想に対して無知だったのは、間違いなく毛沢東です。

言葉は悪いが「田舎っぺ」で、そのうえ紳士(インテリ)でも思想家でもありません。

個人的には、同時代人の中では張作霖と同じ部類に入る「流族、馬賊」の棟梁の類で、歴史から人物を拾えば、洪秀全よりも黄巣に似ていると考えています。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-22 22:50

政治局常務委員

Wikiによれば、今の中国共産党中央政治局常務委員の数は多過ぎると言う意味の件がありますが、定員が11名だった時期もあり、今の9名が際立って多い訳ではありません。

こういうのは、バチカンのコンクラーベ(新教皇選出選挙)及び、その後に付き物の枢機卿の新規任命を知っていれば、この「謎」も氷解します。


コンクラーベに際し、特定の派閥が枢機卿団の過半数を制するか、それに近い状態にあれば、選挙も簡単に終わり、その後新たに任命される枢機卿の数も少数に留まります。

対して激烈な合従連衡の末に新教皇が選出された場合、その教皇の子飼いの勢力は少数派に留まりますから、自派を増やす意味からも(枢機卿は原則として解任出来ません)、大勢の新枢機卿が誕生することになります。


ですから中国共産党においても、少なくとも最高首脳がその就任時に政治的基盤が脆弱であった場合は、「中立+味方」の二人を任命する必要があり、どうしても数が増えることになります。

それから、常務委員の数が多ければ、個別の職務の範囲が分散され、特定の人物に権力が集まることを防ぐことが出来ます。

とすれば「習のお坊ちゃん」の出世の目はないと思われますが、如何でしょうか。


Wikiの「中国共産党中央政治局常務委員」の項は、幾ら眺めても飽きません。

例えば最初(1928年7月、李立三を含む)の常務委員の顔触れをみても誠に興味深いです。

今の中国を語るには、その「前史」を含めて徹底的に洗い直す必要性を感じています。

西洋特に西欧では、革命と言えばユダヤ人の関与が顕著ですが、日本(明治維新)や中国(本誌では文化大革命を指します、共産中国建国は、少なくともプロレタリア革命とは認められません)では、ユダヤ人抜きで独自に革命を遂行しました。

中国において、そのユダヤ人の代わりを担ったのは「内なるユダヤ人」客家ではなく、宗族でした。

清朝末期以降、宗族階級は体制側と反体制側に分裂しただけではなく、それぞれに内訌を抱えることになります。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-21 21:35

青海地震

確かに被害の甚大な災害でありますが、時を措かずして首相が現地入りしたのに続き、国家元首たる国家主席が外遊を打ち切って被災地を視察しなければならない現実を踏まえると、2013年の任期切れまであと3年を残す現段階でも、「胡錦濤体制」は地盤が固まりつつあるものの磐石ではなく、ある種の危うさを孕んでいることは、素直に認めざるを得ません。

それだけ「反胡錦濤派」は根深く、広範囲に潜んでいると考えられます。


Wikiに目を通さないととんだ恥を掻きます。

先日も王安石のことを書いていて、その後暫くしてからWikiで確かめると冗官の問題を初め大方のことが既に掲載されていました。

自己研鑽を絶やしてはいけないとあらためて痛感した次第ですが、ことのついでにふと「中国共産党中央政治局常務委員」を調べてみたのですが、歴代委員の顔触れをみると、なかなか面白いです。

まず1928年の創設時点から名を連ねていた人物の一人が周恩来、毛沢東が常務委員に就任したのは1935年の遵義会議で、一度の例外を除いて常に名簿に名前があった周恩来は、この次から氏名が消えています。

それから1931年の段階で一度だけですが劉少奇も常務委員の座に就いていますから、毛沢東よりも劉少奇の方が、この段階では重用され昇進も早く、更にその先輩格に当たるのが周恩来と言う構図になります。

勿論、中国共産党の各派閥の消長も勘案する必要はありますが、見逃してはならないのは、周恩来と入れ替わる様に、あの陳雲こと廖陳雲が同委員に抜擢されている点です。

ですから陳雲は鄧小平より格上と言うことになります。

その後劉少奇が復活したりして、人事は如何なる組織でも複雑を極めるのが当たり前ですが、これをみていると毛沢東率いる「実利重視理論軽視派」と「読書階級出身インテリ層」の抗争史と言うのが、共産中国の実態ではないでしょうか。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-20 23:42

視野に入る「上海陥落」

http://jp.wsj.com/Finance-Markets/Finance/node_50119
中国、地方政府の簿外借り入れを調査

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-14421220100319
中国、主要国有企業の一部に不動産事業からの撤退命じる方針=新華社


最初の記事に出てくる中国銀行業監督管理委員会(銀監会)のトップは劉明康主席、以前は中国人民銀行の副行長(日本で言えば副総裁か)も歴任していました。

「劉さん」と言っても、劉少奇さんと同族なのかは不明です。

後の方の国有資産監督管理委員会(李栄融主任、どうやら中国では委員長を主任と称するみたいです)は、国務院直属機関で、しかも「中央魏業」がその傘下にずらりと顔を並べています。(下記参照)

http://www.allchinainfo.com/eco/zhongyangqiye.shtml

これだけのことを公言しているのですから、引き締めならぬ「締め上げ」或いは「縛り首」は近いなと思っていましたら、本日の上海株価指数は4.8%、150ポイントの下落を記録しました。

遂に本丸への突撃を敢行した模様です。


ここまで長い年月でした。

族父にあたる(と思われる)胡耀邦は、総書記こそ解任されたものの政治局常務委員の座は、鄧小平が死守してくれたお蔭で手放すことなく生涯を終えました。

胡耀邦氏の死は、その後の「民主化運動」の手回しの早さから察するに、後任の趙紫陽も屠ってしまおうと言う、(おそらく陳雲を領袖とする)闇勢力(裏社会)による暗殺とも考えられますが、いずれにせよ胡耀邦も趙紫陽ももぎ取られた鄧小平は、対立する勢力と取引し、それが「江沢民国家主席、胡錦濤国家副主席」と言う形で手打ちになったのだと思われます。

ですが中国人の「手打ち」ほど、当てにならないものは無く、陳雲という重石が取れた江沢民が暴走を始め、結果的に国土と人民を荒廃させました。

それにしても「胡錦濤革命」を胎動させるための必要条件がこれだけ過酷とは、天は中国に如何なる試練を与え続けるのでしょうか。

(続く)
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by 4kokintou | 2010-04-19 23:10