現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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台湾 ~蒋介石の「理想郷」~

台湾は蒋介石にとって「心ならずも」終の棲家になった場所ですが、それ以外はやりたい放題、その意味ではまさに「政治的理想実現のための実験室」でした。

すなわち台湾で実践したことは、仮に蒋介石が国共内戦で勝利を得た場合、中国全土で実行に移していた公算が極めて大きかったと考えられます。


蒋介石率いる国民党が台湾で行ったことを列挙しますと、「占領」、「差別(化)」、「弾圧」、「密偵政治」、「軍備増強」、そして「はき違えた中央集権」、こんな所でしょうか。

面白いことに、蒋介石は台湾で三民主義を微塵も実行していません、これが本音です。


蒋介石の場合、国民党の地盤とそうでない地域、具体的には共産党支配地(或いは共産党支配の長かった地域)、旧大日本帝国支配地(旧満州帝国、台湾を含む)との間に、一線を引いたと思われます。

従って「戦勝者」と「非占領民」の二種類の中国人が生まれることになり、両者の間には明確な差別規定が壁となって立ちはだかります。(三民主義を採用するとしても、対象は前者のみです)

そして「戦勝者」側は「非占領民」を全く信用していませんから、先手を打って「弾圧」し、同時に複数の諜報機関を駆使した「密偵政治」、これについては贅言を要しますまい。


「軍備増強」は必須項目で、蒋介石が大陸中国を制圧したとして、その過程で各地の軍閥(の残党)を掃討する必要があります。

換言すれば国民党の部隊以外は全ての国民は武装解除すると言うのが蒋介石の持論の筈で、群雄割拠と言う名の地方分権の苦汁を味わった中国人としては、「軍事力による中央集権化」は、排除すべき選択肢ではありませんでした。

但し、この点では蒋介石よりも毛沢東の方が遥かに「化け物」だったのですが、蒋介石も「中央集権=個人集権」と言う考えの持ち主で、政府、国民党、そして軍の最高責任者の地位を確保することに執着し、その過程で多くの同志と諍いを起こしています。

では毛沢東(中国共産党)と蒋介石(国民党)の違いは何処にあるのか、それは中央集権にあると思われます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-31 23:17

揺れ出しつつある世界の中心軸

僚誌「現代の超克」を、3日か4日に一回程度の頻度で再開しましたが、余りに触れたい話題が多過ぎてかえって頭が混乱し、挙句に「日本は何故陸軍国なのか」と言う難題に手を染めてしまい、我ながら茫然自失としているのですが、ただ間違いなく言えることは、「ペリー以前」と「ペリー以後」に分けて考える必要があると言うことです。

中国史においては鄭和の大航海が有名ですが、これは基本的に「陸伝い長距離航海」であるのに対し、ペリー来航から左程時間が経っていないにも関わらず、当時の江戸幕府は咸臨丸を米国に派遣しました。

その航海は「一直線の長距離航海」と言うべきもので、ハワイ等に立寄ったものの、原則として途中下車は許されない航海でした。

そして奇しくも日米は「超大国の卵」として太平洋戦争で相まみえるのですが、この時点で太平洋やインド洋と言った大海を苦にしないのは日米英、「一直線長期航海」が可能なのは日米に限られます。

小誌は日本が持ち得なかったのは「ビンソン計画」と「核兵器」と「高高度爆撃」だと思料していますが、換言すればそれしか足りないものはなく、二正面作戦なんて当たり前の話で、日露戦争以降、たとえ民間船であろうと日本船籍の船舶を臨検したりする艦船は、少なくとも北はオホーツク海から南は東シナ海まで皆無ですから、勢い海軍の仮想敵国は「海の向こうの」米国艦隊と言うことになります。

対して陸軍は「大日本帝国の臣民が生き残るために」朝鮮半島を経て大陸進出したわけで、仮想敵国は「中国を初め大陸国家全て」となります。

ですから、当時の大日本帝国臣民は、二正面作戦の可否について訝ったとしても、二正面作戦の話そのものには慣れている筈です。(陸海軍がそれぞれ宣伝しますから)

超大国の卵たるや、この程度は当たり前の話で、今の中国は核兵器でこそ日本を凌駕していますが、海軍力の増強と言っても、三流海軍国から見本を買って真似している段階ですから、それこそ「可愛い」ものです。

日本が英国を手本とした様に、本当は最先端を手本にしたいのですが、他ならぬ最先端は日本と米国で、これは諸事情から絶対に無理な話です。


また話がそれてしまいました。

本当は「世界の政治経済の地軸が、以前の大西洋中心から、東は米国から西はインドまでの太平洋(+インド洋の一部)、今この瞬間も移動しつつあるのが現状であり、それに伴い、東はロシアから西はロンドンまでの旧社会は縮小する」ことが言いたかったのですが、相変わらずの脱線ぶりです。

ただ、環太平洋で「自給自足」が可能になりつつある今、「旧社会」は不要になります。

その原動力は勿論米国ですが、その衝撃波を長い時間をかけて吸収し加工したのが日本で、本来なら命にも関わりかねないその衝撃波を、各国が咀嚼出来る様にしたのが、他ならぬ「鬼子」の国なのです。

もっと言えば、米国と英国の違いを認識出来ていた、今でも誤りなく認識している唯一の国が日本で、この点では中国人は13億人いようが15億人いようが、全員落第点です。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-30 23:21

軍閥の「意義」 ~蒋介石理解の補助線~

毛沢東や蒋介石から主義主張や政治的信条を剥ぎ取ってしまえば、単なる軍閥に堕してしまうと言うのが本誌の当初の持論でしたが、それ以外に中国共産党と国民党は「文官=官僚」を有していた点が、従来の軍閥と異なる点だと思われます。

蒋介石の場合はそれに加えて「近代化」も手に入れていましたが、軍隊を運用するには文官の存在が不可欠なのは歴史が証明するところで、背後に官僚の存在しない軍隊は愚連隊と異なりません。


「革命の父」孫文が辛亥革命を通して清朝(=大清)を倒したのは孫文の勝手ですが、清朝歴代皇帝が束ねていた権力と持ち合わせていた権威、そして「文治主義=科挙」の精神の受け皿を用意しなかった点で、これは断じて革命ではなく、「辛亥動乱」と呼ぶべき性質のものです。

殊に文治主義の精神を継承しなかったがために武断主義が台頭し、清朝の後を襲うべく各地の軍閥が名乗りを挙げた点は、近現代中国にとって最悪の展開でした。


軍閥支配下では被支配民に対する収奪が再生産不可能な水準、要は食って行けない段階に達していたと思われ、とすると支配される側は娘を身売りしますが、野郎はと言えば裏社会に身を投じるか、他ならぬ軍閥に入隊します、農業や商工業で食えないとなると、残る産業はそれらしかないですから。

ですから軍閥は「食っていくためには相手を滅ぼす」意識が非常に強く、兎に角、相手構わず喧嘩を仕掛けますが、その軍資金は収奪によって賄われます。

そんな状況ですから文官を雇って官僚群を形成する余裕はありませんし、本来ならば文官を輩出すべき宗族階級や胥吏階層からみても、必要とされないのに命を張る理由はありません。

しかも結果的に「中央集権」も否定することになりますから、群雄割拠は「武断主義的地方分権の極致」と言えます。

これではいけない、知識人でなくともこう考えるのは当然ですが、此処で中国人が誤ったのは、何で「革命以前」より「革命以降」の方が不幸で退化しているのかを掘り下げなかった点で、残る国民党と共産党も孫文が「革命の父」である点では異論がなかった、「君主制はもう懲り懲り」と言うのが当時の世論の総意だとしても、「孫文は間違っている」と言う政治勢力が存在しなかったことが致命的でした。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-29 01:07

汪兆銘の功績

中公新書「漢奸裁判」を読んでいて痛感するのは、汪兆銘の妻(陳氏)の実家が広州や福建の事実上の支配者であったり、南京脱出に追随しなかったけれど貴州や雲南の兵力を当てにしていたり、この事実から群雄割拠=軍閥による分裂支配の後遺症と言うか、その構図は残っていた印象を受けます。

例えば広州には日本軍が進軍していますが、汪兆銘が南京国民党政権を樹立する以前も以降も、日本軍と現地勢力との戦闘行為は、少なくとも特筆される程度のものではありません。

おそらく日本軍が掃討するまでもなく、蒋介石系の軍隊は広州から逃げ出しているか降伏しているかで、そもそも蒋介石の影響力が小さい広州で蒋介石に忠誠を尽くす軍隊が存在したかどうかも怪しいです。


戦争は勢力と勢力との「接触面」で起こるのが通例で、日中戦争を引き合いに出すと、南京(首都)に迫った日本軍を観た蒋介石は、最初は漢口に、次いで重慶に政府を移し、対する日本軍は漢口を占領後、重慶に軍を進めますが、陸上攻撃と並行して重慶空爆を、当時としては絨毯爆撃と言って良い規模で敢行します。

汪兆銘氏の立場と言うのは、GHQ統治下の吉田茂総理に似たものがあり、占領軍と国民の間に存在する緩衝材的役割を持っています。

その存在意義としては「GHQ(占領軍)と国民を直接対決させないこと」にあり、現に少なくとも民政は汪兆銘政府が掌握しています。

何よりも前線と言う名の接触面が西方に移ったのですから、一時的混乱を除いて汪兆銘政府支配下の国土では戦争はなかったと言えます。

従って日本軍制圧下の領土は、刃向かわなければ国民生活が安定し、命の保障も確保され、無茶苦茶な課税や搾取もなかったのに対し、頭から爆弾を落とされた重慶政府は、狭くて肥沃でない地域に立て篭もりながら戦うのですから、支配下の住民の負担は凄まじいものがあったと思われ、中国共産党に至っては、あれは「対日抗戦」ではなく「逼塞」としか表現の仕様がありません。

広州を初めとする中国の多くの領土で、本当の地獄が始まったのは日本軍が退いてから、まず「地獄の大魔王」として登場したのは蒋介石でした。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-26 23:45

恥ずかしながらの帰還

ただ今戻って参りました、完璧に浦島太郎状態ですが。


くたばっている間、いずれも中公新書の「漢妖裁判」と「李卓吾」を入手、これはこれで悦ばしいのですが、それにしても最近は絶版が相次いでいて、版元も中身の良し悪しより今後売れるかどうかで原版の存廃を決めている感があります。

では最近流行りのタブレット型端末、~小誌なら「移動式媒体(接続)装置」とでも訳しますが~、に残る原版はと言えば、とりあえず売れる書籍と言うことで、所謂ロング・テール、~「好事家向け書籍」では駄目なのかい~、は紙に書かれた書物から電子化されるに際して、その多くが落ちこぼれる訳で、次世代は欠落の多い歪んだ「知」を受け継ぐことになります。


お便りに多謝、今回の胡錦濤国家主席の訪米に随行したのは、以下の面々だそうです。(出典:毎日新聞)


王岐山副首相、戴秉国国務委員、楊外相、張平・国家発展改革委員会主任、謝旭人財政相、陳徳銘商務相


小誌の持論では、中国の外交政策決定権限は

「温家宝首相>(李克強筆頭副首相)>王岐山副首相>戴秉国国務委員>楊外相」

今回、温首相は留守居役ですから、ここに国家主席を代入すれば、完璧な布陣で今回の訪米に臨んだことが分かりますし、胡主席の直属機関である国家発展改革委員会の最高幹部が随行している点を踏まえても、相当の決意を持って米国側と相対したことが理解出来ます。

頂戴したお便りにも書いて頂いていますが、王岐山副首相はカリフォルニアに立寄っていますし、米国側主催の夕食会(こちらにはヒラリー国務長官が出席)とは別に、副首相はガイトナー財務長官と飯を食っています。

おそらく王岐山氏はバークレーで、ここの大学に在籍する著名人、それがオバマ大統領系なのか「ごーるどまん・さっくす」系なのかは不透明ですが、その類の人物と面談していたと思われます。

それから令計劃なる人物(中央書記処書記兼中央弁公庁主任)も同行した模様で、弁公庁=秘書室ですので、秘書室長と書記を兼ねる要人も胡錦濤主席は連れて行った訳で、この布陣は「現地で全てを決断する態勢=一切口出しさせない姿勢」以外の何物でもありません。

つまり国家主席の発言、特に諾否については瞬時にそれに沿った臨戦態勢が組める一方、書記処も国務院も党中央もそれに介入出来ない構図になっています。

米国側は手こずったと思われます、相手は政権丸ごと訪米してきたのですから。

下手なことを言ったら逆ねじを食らわされたでしょう。

それにオバマ大統領派と「ごーるどまん・さっくす」派の寄り合い所帯ですから、その辺りを衝かれると米国側は矛盾の説明に苦しんだことでしょう。

今回の米中対決、中国側は「負けなかった」と理解したいと思います。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-24 22:54

絶対に

明日1月24日から復活します。

小誌を続けなければ生きている価値が無いですから。

執筆者
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by 4kokintou | 2011-01-23 17:09

一息ついて「雑感」

劉華清「元」上将が死去、享年94歳。

各種報道を含め調べたところ、生まれは湖北省黄安(紅安の誤り?、或いは黄州か高安?)、1929年に13歳で中国共産主義青年団(共青団)に入団、生涯一貫して鄧小平の後ろ盾を得て、特に建国後は海軍に転出してその近代化に尽力したそうです、合掌。

「共青団」、「鄧小平」、「湖北省」、「劉」とくれば、小誌は劉少奇(湖南出身ですが)を思い浮かべてしまいます。

それからWikiを読む限り、入党(1935年)以来、一度も失脚していません。

この事実が「奇跡」を飛び越えていることは、少しでも中国現代史をかじっていれば自明の理です。

鄧小平を含め、それだけ強い勢力の後押しを受け続けていたと考えられます。

余談ですが毎日新聞は「劉華清さん」と表記して報じています。

脳味噌が化石化した元秀才のなれの果ての哀れなこと、日本語が不自由だから「劉華清元上将」だと、何処で区切って良いのか分からなくなります。

「元軍人の劉華清氏」で良いではないですか。


所変わって、小誌が今世紀の先行きの方向性を決めることになると考える、胡錦濤国家主席の訪米に急遽合わせるかの如く、台湾の王金平国会議長(立法委員)が15日から渡米。

本省人で国民党所属、過去の経緯から馬英九総統とは犬猿の仲の印象を受けます。

党主席選挙で負けて、副主席就任の要請を蹴っていますから、馬英九氏の風下に立つことだけは死んでも嫌と言う、馬氏を心底見下している深層心理が顕わになっています。

翻って言えば、馬英九氏はどの角度からも軽んぜられています、「選挙に勝って国民党に政権をもたらすため」の装置以外の何物でもありません。

ところで今回の王氏渡米を手引きしたのは誰なのか、送り出す側は本人の単独行動か国民党保守本流の了解を取ってということですが、受け入れ先の勢力が浮かび上がってきていません。

この辺りも要警戒を思料しています。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-15 10:35

スターリン大元帥閣下を待たせる不埒な小誌

ソ連はそもそも「陸の王者」型列強であって、日米が太平洋戦争で「定義付け」しようとした「超大国」では決してありませんでした。

ベルリンを陥落させてから条約を蹂躙して旧満州国に襲い掛かるまでの3ヶ月、スターリンがしたことは、ひたすら戦車と兵員を満州国境に送ることでした。

つまり日米独が(条件付きにせよ)可能であった「二正面作戦」、そして日米がなしえた「空、陸上及び海上、そして海中の三次元戦争」は、建国から崩壊に至るまで、一瞬たりとも不可能でした。

その証拠に、大韓航空機撃墜事件で露見したのは、「ソ連軍の統帥権の所在が不明確と言うか、存在しない」と言う事実で、「統帥権が確立していない近代的戦闘部隊」と言うのは、言葉の遊びの域を出ません。


スターリンが宥和的態度を一変させたのは1947年から48年で、占領下にあった東欧各国を次々と「赤化」していったのが、本格的な冷戦の発端であり、チャーチルが各方面から嘲笑と面罵を浴びせられながら、鉄のカーテン演説で米国の欧州への再上陸を促し、ドゴールがロシア人の心理と西欧への憧憬(=劣等感)を読んで、その言辞だけでくい止めていた苦心も画餅に帰しました。

ソ連の核実験成功が明らかになったのは1949年、ベルリン封鎖開始は48年、ですから49年までの最長4年間、米国の核兵器がモスクワ上空で炸裂することは無いとの確証を獲たことを、あの天才的外交手腕の持ち主モロトフがソ連の外交的勝利と自賛したのも首肯出来ます。

こうして第一戦線(欧州戦線)は熱戦の一歩手前に達し、第二戦線(中東)もイスラエル建国問題、そしてイランの英ソ分割統治(米英の力関係については項を改めさせて頂きます)と言う名の睨み合いと、緊迫の度を増していますが、ではスターリンにとって第三戦線(中国)は如何なる意味があるでしょうか。

「平穏な現状維持」が望ましいですが、既に国民党と中国共産党の殴り合いが始まっているので、傍観している訳にも参りませんから共産党を支援したでしょうが、下手をすれば手を咬みかねない飼い犬ならぬ「狂犬」に兵器を、特に重火器を大量に渡すのは自殺行為です。

とすると次善の策は「米帝を消耗させるためも持久戦」で、強いて勝って貰いたいのは国民党政権の方です。

朝鮮半島北部を何故確保したのか、その前提は「満州の赤化」(勿論ソ連とスターリンを共産主義の本家本元と仰ぐ)、これ以外にありませんし、ソ連にとって「食べ応え」があるのは旧満州地区だけです。

「ブルジョア政党」国民党政権が保有する旧満州国地域を「赤化」することは出来ますが、渋々でも中国共産党を「身内」と認めた以上、その保有する領土を「赤化」して「占拠」することは出来ません。

としますとスターリンの真意は、第一戦線と第二戦線次第の部分はありますが、「国共だらだら内戦の継続」か「体力を消耗した蒋介石の勝利」と言う結論になります。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-14 12:35

スターリンの思惑 ~承前~

地図で見る限り、ロシア(ソ連)と北朝鮮の国境線は極めて短く、その少なからぬ部分が河川ですのでソ連側から大軍を渡河させるのは、相手に相応の装備があればそれこそ「暴虎馮河」です。

ソ連軍が朝鮮半島の38度線まで軍を進めることが出来たのは、蒋介石率いる国民党政権が旧満州地区への「進駐」を事実上黙認したためで、居座らずに素直に満州を返還したのも(返還後に国共間で獲り合いが始まりましたが)、第三戦線(中国戦線)の重要度の低さと共に、中国共産党に対する一種の警告とも解釈出来ます。


国共内戦がどの程度の水準にあったのか、後のベトナム戦争と比較すれば分かり易いです。

ベトナム戦争において、素寒貧と言う点では一致する南北ベトナム(当時)が唯一、戦争に提供したのは兵員だけです。

つまり「ヒト、モノ、カネ」の人だけを戦場に送り、兵器はそれぞれ同盟国に頼ると言う「近代型戦争自力遂行能力皆無」の水準にベトナムはありました。


少なくとも「列強間戦争」次元になれば、「超大国の卵決定戦」に至れば尚更、「高度最先端技術」を駆使した「大量殺戮兵器」を「量産」することが求められます。

例えば当時のドイツの戦車「パンツァー」や「ティーゲル」が何処の企業の何処の工場でどの程度の生産能力があるのか、スパイでなくとも大凡のところは分かりますし、日本海軍が何処の軍港(≒造船所)でどれだけの受注を抱えながら軍艦、空母、重巡及び軽巡、駆逐艦等を建造しているのか、知らぬ筈が無い証拠に、真珠湾攻撃及びその後の南方作戦に於ける捷報を伝える新聞記事を読んで、腰を抜かす「軍事通」がいても、こんな新兵器は知らなかったと驚いた大日本帝国臣民は皆無だったと断言できます。


ここで小誌は全中国国民及び日本国内の中国通に問いたいのです、「1945年8月時点、或いは国共内戦が再燃した1946年6月段階で、日本が旧満州地区に残した設備や装備を除き、国民党と共産党のそれぞれの陸海空別、兵器種類別の最先端量産型大量殺戮兵器の生産能力とその確保地点はどうなっていて、それが内戦終結まで如何なる推移をたどったか」。

敵国日本の残したものを奪い合う、この段階で既に国共内戦の「水準」が見て取れます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-13 22:30

スターリンの思惑

本題に入る前に、胡錦濤国家主席が今月18日から21日の日程で訪米し、19日には米中首脳会談が予定されていますが、日経新聞によれば訪米に先立って大規模な買い付けを実施した模様で、江沢民一派が牛耳っていた頃の「ポールソン財務長官・呉儀副首相」ホットラインを彷彿とさせますが、今回の中国側の通商団を仕切っているのは、表面に出ていませんがおそらく王岐山副総理だと思われます。

王副総理は12月17日を最後に、動静が把握できていませんが、おそらくその日に主だった商談を纏めた節があります。

尚、交渉相手がヒラリー国務長官でもガイトナー財務長官でもないのは、「ごーるどまん・さっくす、許すまじ」の中国側の意思表示とも取れます。


http://search.people.com.cn/rmw/GB/foreignsearch/languagesearch.jsp
中米商業貿易連合委員会会議 複数の協力文書に調印


他方、ほぼ時を同じくして李克強副首相がドイツ、英国、スペインを歴訪、英国ではキャメロン首相と会談する一方、大型商談を纏めるなど、実質的に初めての表舞台で存在感を示しています。

ではその頃、将来を約束された筈の習近平のお坊ちゃんと言えば、胡国家主席の次の国防大臣の次にゲーツ米国防長官と会談しています。

本来、この時期は国家主席になるための修行期間にあたると思われるのですが、そんな雰囲気が感じられず、中国製ステルス(?)を飛ばして憂さ晴らししている様にしか見受けられません。


現段階の最高首脳たる胡錦濤氏の肩書は、国家主席(2003年3月15日就任)、国家中央軍事委員会主席(2005年3月13日、前任者の江沢民がしがみ付いていたから)、共産党中央委員会総書記(2002年11月15日)、党中央軍事委員会主席(2004年9月19日、江沢民の引き際の悪さのため)と、2012年11月に総書記になれるのが最短で、まだ2年近くあります。

やはりこの人物がすんなり胡主席の後継者になれるとは思えないのですが。

一見華やかで、後継者に相応しい特命事項を与えて、実はそれが泥沼でと言う筋書きを考えているのは小誌だけでしょうか。


済みません、国共内戦は本日後程、多分。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-01-13 14:46