現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou
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抗日戦線?

日本と言えば良いのか、旧大日本帝国陸海軍と言えば良いのか、どちらでも構わないかも知れませんが、この「超大国の卵」は他を寄せ付けないほど進んでいる軍事分野もあれば、信じられないほど遅れている方面もあって、おかしくなる時があります。

クルクスの戦いと言えば、第二次世界大戦の帰趨を決するうえで無視することの出来ない戦いですが、この戦争の主役は「20世紀の陸上兵器の華」とも言うべき戦車同士のぶつかり合いでした。

日本は戦車造りが下手で、そもそも戦車を重視する思想がなかったと言えます。

とすると石原莞爾が満州事変でやったこと、そして日中戦争での日本陸軍の侵攻は何かと言えば、「徒歩でのブリッツ・クリーク(電撃戦)だったとしか言い様がありません。

勿論、可能な限り鉄道やトラック等の運搬手段も用いたでしょうが、そして航空機による空爆を実行に移したでしょうが、無数の戦車がうねる様に進撃したとは聞いたことがありません、中国平野部は戦車の使用に最適の地形であるにもかかわらず。


過日頂戴したお便りで、抗日戦の「英雄」が鉄道(線路?)を爆破した場面をご紹介頂きましたが、考えてみれば間抜けな話で、満州事変の際は兎も角、日中戦争勃発時において鉄道は全て中国側の所有物だったのですから、鉄道(線路)は一定間隔で或いは復旧に時間を要する地点を選んで切断し、車での移動に対しては幹線道路に多数の穴を掘れば立派な妨害工作になります。

交通網を易々と日本側に明け渡すから「英雄」は苦労する羽目になりました。


先日、地図を観ながらあらためて呆れたのですが、重慶も延安も凄まじい田舎です。

重慶はまだ四川盆地の平野部に位置していますが、日本軍との間には山間部が存在しますし、延安に至っては広大な山脈のど真ん中、確かに日本軍もたどり着けないが中国側も主力を繰り出すのは無理としか言い様がありません。

要は国民党も共産党も日本軍の手の届かない所でのみ生存し得る、「徒歩型電撃戦」にすらなす術がなかったのです。

延安に居ては、スターリンがその気になっても本格的な援助は困難です。

中国共産党は日中「戦争」の間、自らを隔離して純粋培養していたと考えてしまいます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-27 00:42

スターリンの「中国赤化計画」

中国の政治家も、日本の連中ほど初心(うぶ)で物知らずではありませんが、それでもスターリンやモロトフに比べると、修羅場のくぐり方が違います。

対独戦に勝利し、戦略音痴な米国が兵力を欧州から引き揚げた時点で、「ユーラシア大陸唯一の陸の王者≒模擬超大国」にまで大変身を遂げたソ連にとって、中国の赤化は当然のことながら視野に入っていましたが、この第三戦線に人材と物資を大量に割くことは許されませんでした。

一方、中国本土では国民党と共産党が生き残りましたが、共産主義の本家本元スターリンから言えば、ブルジョア政党(国民党)は「異教徒」であるのに対し、中国共産党は「妾腹の子」であり「異端」でした。

加えて孫文の三民主義は曖昧(そして非現実的)な部分が多く、そのため国民党は後々まで路線の一本化が達成出来ずに苦しみます。

例えば三民主義の内の一つ、民権主義ですが、西欧民主主義に従えば三権分立(立法、司法、行政)ですが、孫文はこれに加えて監察権と考試権を加えた五権主義を唱えています。

監察権は、これは中国お得意の「地方官の働きぶりを調べるお目付け役」ですが、中国においては監察する側もされる側も科挙合格者=宗族階級ですので、適当に手打ちしますから全く効果なしです。

考試権に至っては科挙の残滓を色濃く残した発想で、これを権利として独立させる発想ほど、旧態依然たるものは無いですし、「権利」の意味をはき違えていることを裏付ける材料でもあります。


スターリンとしては国民党に勝利して欲しかったでしょう。

権威と権力を一身に纏うことを求めた蒋介石ですが、それに対する不満分子も党内に相当存在していたのは事実であり、しかも異民族と辺境地域は切り捨て(台湾での政治がこれ)、加えて政治の実務を握る旧胥吏階級=非エリート役人集団を、周恩来の身内を「漢奸裁判」にかけることで敵に回しました。

この時点で共産党は地下に潜り(その過程で毛沢東は粛清、コミンテルン追随路線に回帰)、汪兆銘一派も裏社会に身を隠すことになります。

つまり蒋介石統一政権は、成立した途端に破綻する運命にあります。

しかも中国に容喙出来る海外勢力は米英ソのみ、この内、英国は疲弊著しく利権の現状維持が精一杯、米国は超大国の卵から孵化したとは言え、中国大陸で共産主義勢力の突進を留める術を持ち合わせていません。

まず満州を「満州ソビエト社会主義共和国」と言った名称で独立宣言させ、それと同時に条約を締結して軍隊を進駐させます。

同時に各「都市」でプロレタリアートと言う名の(裏社会)共産党に世情不安を醸成させ、例えば「北京ソビエト」、「上海ソビエト」を設立し、ソ連に対し助力を求めます。

大義名分を得て、かつて日本軍が侵攻した経路そのままに、ヒトラーに散々教えて貰ったブリッツ・クリーク(電撃戦)を展開しますが、電撃戦の要諦は戦力の集中にありますから、戦車や装甲車を中心にさっと投入してさっと引き揚げます。

天国(地獄?)のスターリン閣下、如何でしょうか。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-25 23:01

「準備万端」と「胸突き八丁」と

今回の一連の政変(未遂)劇の脚本家である米国としては、筋書きの中に「中国転覆」を入れていない筈ですが、予行演習も兼ねてでしょうか、中国各地で多少の揺さぶりを掛けてきました。

しかしそこは「準備万端」の胡錦濤政権、粗相がある訳も無く、全て穏便に収めました。

ただ世界が「胸突き八丁」の局面に突入していますので、唯一主導権を握っている米国と、国際情勢より明日の我が身が大事な日本の政策責任者を除き、あらゆる事態を想定して、それに予め対処しておくことが必要です。

もっとも、バーナンキ氏がドルの垂れ流しをやめない限り、その場所を問わず物価が上昇するのは自明の理で、この「インフレ輸出」と言う米国流テロに世界が如何に対応するか、或いは出来ないかで、その国の命運が決まります。

中国の場合、勿論国民の努力も抜きにして語れませんが、現在棚上げ中の日中「戦略的互恵関係」を、福田康夫総理と国家主席の間で締結出来たのは幸運でした。

これを機に胡政権の政治基盤が強まり、苦しいながらも米国と渡り合うだけの地力を付けることが出来ましたから。


暫くお休みを頂戴している間に少々書籍に目を通しましたが、やはり諸悪の根源は孫文だとの認識を深めるに至りました。

宮崎市定京都大学名誉教授(故人)の説明によると、孫文の三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)の中でも、その今回をなすのは民族主義で、そしてこの場合の「民族」は華人(漢民族)を指すとのことです。

では少数民族はといえば、華人に比べて発展段階が遅れているから全面自治は難しく、漢民族の指導を受けながら「自治区」に留まるべきとの考えの持ち主だったそうです。

確かに「省」級の扱いを受ける行政単位でも、「内蒙古自治区」、「チベット自治区」、「新疆ウイグル自治区」、「広西チワン族自治区」、「寧夏回族自治区」と、自治区が5箇所も存在します。

華人が優れていて少数民族が遅れていると言う考え方そのものが、敢えて言えば「噴飯物」ですが、その理論的根拠が左翼の連中が好きな「発展段階論」ですから、「容共連ソ」と重ね合わせれば、孫文は相当、左翼的嗜好の洗礼を受けていると言わざるを得ません。

そんな孫文と国民党を、共産主義の「本家本元」にして、グルジア人と北オセチア人の混血児スターリンが重宝したのは、与しやすい相手=馬鹿だからで、統治能力もないのに主義主張を掲げるだけが取り柄の政治家及び政治集団ほど、手玉に取り易いものはありません。

では項を改めて、スターリンの「中国赤化計画」を考察します。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-24 15:29

正念場を迎える北京と上海

米国金融行政の第一人者と言うべきか、「ごーるどまん・さっくす」の優れた代弁者と言うべきか、バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長が、中国現指導部の金融政策を暗に貶す発言をしました。

遅くともPOMOと呼ばれる量的緩和政策(FRBが米国債を買い切る公開市場操作、その規模月額推計750億ドル)を採用した段階で、聡明なバーナンキ氏には混迷を深める今の世界情勢は予想出来たと思われます。

ですから今年1月の胡錦濤国家主席の訪米の段階では、米国側は準備万端=恫喝の材料満載で協議に臨んでいたことになります。


今回の胡国家主席訪米は、その猪突な発表と言い、外務省報道官の公表時点で、地方幹部も含め自派を中心に要人が北京に集結していた事実と言い、不自然さが目立ちました。

察するに、米国から「ちょっと顔を出せや」と凄まれたので、それ以前からただならぬ気配は感じていたのでしょう、意思統一と方針の確認、具体的な対処法の打ち合わせをして、こちらも「準備万端」で敵陣に赴いたのだと思われます。


ただ流入する闇資金(=闇ドル)が年間300億ドルを超えているそうですが、実態は一桁多いらしく、「ごーるどまん・さっくす」から軍資金を受け取った上海の連中(江沢民一派)が、ザルみたいな中国の為替管理体制を使って資金を持ち込み、それを不動産、株式は勿論、日用食料品にまで投じていますから、当局が利上げや預金準備率引き上げを講じても効果がないのです。

おそらくGSも相当に辛い立場にあるとみられるのですが、「大国」と「超大国」ではやはり格が違います。

それにしても、バーナンキ氏は如何なる「新世界秩序」を頭に描いているのか、この「面の皮の厚い狂気の天才」を追跡することが寛容かつ必須です。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-19 17:47

凄まじき権力闘争

鉄道大臣が更迭されましたが、この人物、所謂典型的な「叩き上げ組」だそうで、閨閥を活用したり要人に媚びを売ったりしながら、「鉄道族のドン」に成り上がったとの内容を日経は報じていました。

「小日本人」が大嫌いな江沢民氏が実権を握っている時はその意を汲み、日本と親密な関係を希求する現政権においてはその方針に従い、その結果、中国の新幹線は純正日本型と日仏混合型の二系統が並存することになりました。

日本だとその時点で責任を問われるのですが、中国は人脈が複雑ですから簡単に事を運ぶことが叶わず今に至った訳で、「新幹線と言う重要交通網を、将来に禍根を残す形態に仕立ててしまった」ことよりも、不正蓄財の方が更迭の決め手となる点、話が逆じゃないかと思ってしまいます。


その中国、日本を抜いてめでたくGDP第二位の経済大国に、日本は42年間守り続けてきた二位の座を譲り渡すことになるのですが、42年前に抜いたのは旧西ドイツで、つまり統計そのものの有無を勘案しても、中国はそれ以前から日本に経済規模の点で後塵を拝していたと考えても差し支えなさそうです。

中国経済が何時から右肩上がりになったのか、それは文化大革命に決着をつけて「社会主義的市場経済」を導入して以降でしょう。

それ以前を遡りますと、大躍進政策の大失敗、戦後の国共内戦、日中戦争、戦前の軍閥割拠と、清朝(大清)滅亡以降は内輪の殴り合いに終始しています。

阿片を率先して喫煙したと小誌が睨む乾隆帝治世の後半から「中国の衰退」が始まったとすれば、仮にその終着点を1975年前後に置いたとすれば、斯くも長き「大国の継続的衰退」と言う実験がまさに隣国で試行されていたことになります。

日本に追い抜かれたのは清朝崩壊後、群雄割拠の結果、事実上、統一国家の体をなさなくなった頃かと思われます。


話変わってオバマ流「和平演変」、思いの他の凄みで、胡錦濤国家主席の胸中や如何にと思わず詮索してしまいます。

前回の「和平演変」は共産主義圏の崩壊、解体を目的にしたものでしたが、今回は邪魔となるや長年に亘って忠誠を尽くしてきたエジプトを切って捨て、その主旨が「イスラム圏の崩壊、解体」であることを明白にしました。

ただ、これと同時に「民主化」と「人権」を謳っているのは中国をも睨んだ動きで、現政権を覆すに至らずとも、怯えさせることで権威の失墜と弱体化を狙っています。

胡錦濤政権と「ごーるどまん・さっくす」の唯一の共通点、それは「絶対に譲らねえ」、お気楽な島国を一歩出れば、そこは一歩間違えれば即死する綱渡りなのです。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-17 16:35

ガイトナーの大失態

大統領も含めての感があるのですが、どうもオバマ政権の閣僚は、大統領や他の閣僚の意向などお構い無しに、各自勝手に発言している印象を受けます。

超大国のすることですからご随意にとしか申し上げられませんが、発言が相手に口実を与えることになってはいけないのは某島国の馬鹿閣僚でも、超大国の重要閣僚でも事情は同じです。


米国のガイトナー財務長官がブラジル大統領と会談した際、中国をあてこすった様な発言をしました。

おそらく旧正月休暇(春節)が終わる今日(2月8日)まで中国側は動かないと多寡を括っていたのでしょうが、全く甘い考えでした。


日本時間本日(2月8日)夕刻、中国当局利上げを発表。

おそらく狙い済ましていたのではないでしょうか。

兎に角、中国当局は米国政府要人を端から信用していないことが、今回の一件で明白になりました。

休暇前の時点で相応の口実があれば休暇中でも利上げに踏み切って良いとの指示を当局者に与えていたことになります。

それと、米国政府の主だった要人が、何時何処でどういった内容の発言をするのか、中国側はおおよそ掴んでいることになります。

米国側は閣内の主要人物の動静や発言をお互いに掴んでいないのに対し、中国側はそれを掴んでいる、これでは外交戦に勝てません。

今頃、バーナンキ氏と「ごーるどまん・さっくす」、頭を抱えているのではないでしょうか。


太平洋戦争終結直後の中国は、

「群雄割拠は真っ平」だけど「群雄割拠を望む勢力が多数残存」し、
「異民族は真っ平御免(列強は勿論、国内異民族も許さない華人版「攘夷思想」の高揚)、
「帝政か共和制かは実の所、図りかねている」

こう言ったところでしょうか。

これにまず答を出したのが蒋介石で、「一元化された権威と権力を身に纏った、中央集権と言う名の個人集権」を打ち出しました。

ですから中央集権の土台、表向きは法治国家の体裁を採っていましたからその法源は、回り回って蒋介石個人に帰すことになります。

これじゃあ「皇帝」と変わらないじゃないか、そう思った知識人も少なからず存在したと思われます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-08 22:37

「低次元戦争」の実態

日中戦争では、日本軍の傘下にあった満州国や汪兆銘を首班とする南京国民党政府の支配領域においては概ね「平穏」で「治安」も良く、国民生活も「安定」していました。

被害を蒙ったのは戦況が膠着状態に至って以降の、日本軍統治領域と重慶政府支配領域の接触面(つまり「前線」)、日本軍と中国共産党との接触面、そして国共の接触面に限られていました。(特に接触面の中国側の被害が甚大だったと思われます)

日本軍の統治領域がまだ平穏無事であるのに対し、蒋介石の重慶政府はその軍事力を維持するため限られた領域の統治民に対し重税を課していたうえ、空陸からの日本の攻勢に耐えねばならなかったのですから、相当な苦痛を強いられたと思われます。

救いは援蒋ルート(ビルマルート)を通じて軍事物資が送られていたことです。

中国共産党は、日本軍も攻勢に打って出る気にならない程の過疎地しか支配していませんでしたから、「戦いとは食うこと」でした。

しかもソ連が「庶出の異端児」中国共産党に全くと言って良い程援助せず、そのため文字通りの「その日暮らし」だったと推測されます。

ではどうやって戦費以前の「生活費」を獲たのか、ここにも「粛清」が絡んできます。


「粛清」には二種類あり、党内に於けるものと党外に対するもので、「党内粛清」は「スターリン派一掃」と言う思想闘争であると共に、「食い扶持を減らす」意味もあったと思われます。

「党外粛清」は、これは簡単で大地主から殺していけば良く、それを小作農に分配し、それら小作農から必要な年貢を巻き上げることになります。

ここで大事なのは、闘争を継続する限り、「大地主→中地主→小地主」と粛清が際限なく続くこと、中国共産党が(元)小作農から収奪出来るのは、かつての軍閥よりも少ない「税率」、つまり「ギリギリでも農業で食っていける」状況を維持する必要があります。


国共内戦がどれ程までに「低次元」か、日本の敗戦と共に国民党軍と中国共産党軍が始めたのは、撤退する日本軍の「武装解除」でした。

特に共産党にとっては日本軍の装備は垂涎の的、換言すればそこまで共産党軍の兵器は粗悪で数も不足していたことになります。

国民党軍の場合は、日本軍の「厄介な」兵器が共産党の手に渡らないことが第一条件と考えられます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-07 22:54

元気です、やっとこさ ~或いは周作人~

とぼとぼと歩みを進めて参りたいと思います。


本題に入る前に、2月4日時点で米国政府が中国を為替操作国に認定「しなかった」ことで、緊張が高まると巷間言われていた米中関係も、少なくとも「故意に喧嘩は売らない」と言う一点では、意見の一致をみていることが判明しました。

としますと、世界中で民衆が今暴れていますが、2月8日までの中国でテロや暴動は発生しないと断言しても良いのではないかと思料致しています。


蒋介石は天皇陛下の持つ「権威」と、「党、政府、軍」の最高責任者たる「権力」を一身に纏う考えだったと思われます。

しかしそれは、可能か不可能かは別にして、大きな軋轢を生んだのも事実です。

国民党は結党以来、寄り合い所帯の性格が強いうえ、孫文が個人の資格とは言え共産党員の入党を認めたことで、分裂的傾向に一層の拍車が掛かりました。

ですから、このままでは党が空中分解すると言う蒋介石の焦りは至極妥当なのですが、「権威と権力の全てを掌中に収めた俺様に従え」と言われても、他の要人は簡単に首を縦に振りません。

それでも大きな風呂敷に全部(共産党員は除く)押し込めて前進しようとするのですから、効率の悪いこと甚だしいですし、党内統制にそれだけ力が削がれることになります。

対照的なのが中国共産党で、結党以来継続して行ってきたのが「粛清」でした。

これは異端分子を切り捨てて身軽になる点に限れば得策ですし、少なくとも当時は必要不可欠でした。

「スターリン的思考」の持ち主は認めない、スターリンの出先機関たることを拒否した段階で、当時の中国共産党はソ連と事実上、袂を分かっていたのです。


蒋介石がどれだけ法治主義にこだわっていたかは不明ですが、「漢奸裁判」をみる限り、あんまり理解していないのではないかと思われます。

同名の著書に掲載されている写真をみると、被告の周りを新聞記者と思しき連中が何重にも取り囲んでいます。

つまり被告は「晒し者」状態で裁判を受けた訳で、その気になれば一般人でも当事者を殺害出来る状態に長時間置きながら責めると言うのは、面子を重んじる中国人にとってやりきれないのではないか、その点でご教示頂ければ幸いです。


漢奸裁判には、周作人と言う知識人も「文化」漢奸として引きずり出されましたが、この人物は魯迅の弟、つまり原籍地が紹興酒で有名な浙江省紹興、そして胥吏階層に於ける名家中の名家で、おそらく本家として周恩来の家系を擁する家柄です。

日中戦争勃発の前年に融和的な論文を発表した等の罪状で懲役14年(再審で高齢を理由に同10年に減刑)を喰らいました。

当時、周恩来と周作人との関係を蒋介石が知らなかったと思えませんし、あの時点で対日融和的発言をした知識人は少なくありません。

現実に日本に対して「媚び諂ったり」、「良い顔をしたり」、「愛想を振り撒いたり便宜を計ったり賞賛したり」しなかった人物を探す方が難しいのではないでしょうか。

共産主義者の周恩来に喧嘩を売るのは構いません、ですが知識層と周一族に代表される胥吏階級の少なからぬ部分を敵に回すのは如何かと思われます。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-07 02:03

「李剛」とお知らせ

李剛のくそガキ、もといご子息に懲役6年の実刑判決が出ましたが、被害者と遺族に55万元(それぞれか合計か不明)渡したら、情状酌量の余地があるそうです。

55万元がどれ程の大金なのか存じ上げませんが、中国では命の値段も属する「単位」によって違うことが良く分かる一件でした。

それと一部で、中国で最も腐敗しているのは司法だと言う意見を目にしたことがありますが、その点も裏付けられた気がします。

それにしても、55万元渡さなかったら、量刑はどうなっていたのか、それより裁判官に渡した金額の方が大きいのではないかと、思ってしまいます。


ここからはお知らせです。

ご存知の通りの虚弱体質の分際で二誌を新刊及び復刊しまして計四誌、これに「まぐまぐ」のメルマガ(有料)を抱える羽目になりました。

自業自得ですが、下記を復刊及び新刊致しましたので、ご報告申し上げます。


復刊:「現代の超克」(月曜及び木曜日更新)

新刊:「日本古代史試論 ~常識から見直す国史~」

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-03 00:10

毛沢東の雛形としての蒋介石

蒋介石にとって当時の大日本帝国は敵ですが、その敵とその国民(臣民)を、この人物は高く評価していたそうです。

毛沢東でさえ、日本に対して憧れにも似た感情を持っていた時期があるらしく、この革命家に限らず月性と月照(いずれも幕末の和僧)は、何故か知りませんが中国人の感情を揺さぶる何かを持っているみたいです。


さて、孫文の正統な後継者を自認する点と、それでいながら三民主義に代表される孫文の政治思想を微塵も実践に移さなかった点で両者は共通しています。

しかもこの二人、これ以外にも共通点は沢山ありますが、敢えて相違点を見出すとすれば、以下の項目が挙げられます。

まず「対日観」、近代化の推進と言う点において、日本は避けて通れない存在ですが、共産主義化と言う観点からは、日本から何ら学ぶ点はありません。

事実、蒋介石は日本に留学していますが、毛沢東は共産中国の建国まで一度たりとも海外に足を運んでいません。

そして毛沢東の最初の外遊がソ連であったことが象徴するように、その意識は常に北(ソ連)を向き、ソ連型共産主義の焼き直しに躍起になっていたのに対し、蒋介石は「日本」そのものの導入を目指していました。

大日本帝国の特徴は「二段階の中央集権」にあります。

すなわち権威(主権)は天皇に集中させ、権力は政府に集中させる、但し統帥権のみ天皇が管轄したことから、臣民特に徴集兵が「天皇の赤子」として元帥や大将から二等兵に至るまで、天皇と直結していると実感することが出来た反面、政府が軍の暴走を止める法的根拠が薄弱でした。

清朝崩壊以降の中国には天皇(皇帝)が存在しませんから、中央集権を成し遂げるには権威も権力も一身に集める必要があります。

次に法治主義、特に戦中の日本は無茶苦茶やっている様で、実は全て法に基づいて行動しています、少なくとも表向きは。

帝国議会は閉鎖された訳でなく、予算も帝国議会を通過して初めて執行可能な訳で、法律(立法)と予算に基づいて軍が動き、後方支援が実行されます。

天皇の権威も法に基づくもので、そして大日本帝国憲法が発布され、それが役目を終えるまでの期間と、中国が日本に殴られっぱなしの期間とは、ほぼ一致します。

その法治主義の第一歩が「漢奸裁判」なのですが、漢奸を裁くことは良いとしても、ここで大きなへまをやらかしました、蒋介石相当。

(続く)
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by 4kokintou | 2011-02-01 23:52