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狡猾で保身に巧みで、しかし回り回って中国人に仇をなす自称「中国人(出生は台湾)」と言えば、陳舜臣氏をおいて右に出る者はいないと確信しています。
彼の著書「日本人と中国人」において、かの文化大革命を「壮大なる説得運動」(!)と賞賛していますが、その「説得運動」の過程で二千万とも四千万とも六千万とも言われる、換言すれば一千万単位でしか表現出来ない人数の中国人が、同胞によって殺されていることには一切言及していません。 また、同著では「殺」と言う漢字を取り上げ、日本では文字通り「殺す」意味で使われるが、中国では「悩殺」に代表される様に、前後の語彙を強める効果で用いられる場合が多く、日本語的意味合いで使用されるのはむしろ稀で、また暗に日本人の方が野蛮な印象を抱かせる論法を用いていますが、共産党中国建国以来、今日に至るまで、「日本語的意味」で「殺」を実行してきのは、他ならぬ中国であることには、当然のことながら頬被りしています。 陳氏も要は典型的な中国人で、棺を覆て以降の自身の評価を見据えた言い訳に過ぎません、一連の著作は。 中国人を自称しながら実は台湾出身の両親の下に生まれ、しかも日本人と仲が良くて日本で生活をし、日本でその文章が評価されたとあらば、普通の中国人なら己の立場と評価は、容易に理解出来る筈です、一言で言えば「漢奸」。 ですから、司馬遼太郎も利用したに過ぎず、内心はともかく、親交があるかのように振舞って、云わば一種の楯代わりにしていたのです。 其処が分からないのですから、司馬遼太郎に歴史、特に中国史を語る資格はありません。 幾ら資料を読み漁り、どれだけ物語の裏打ちを得ようとも、根本的な部分が理解出来ていないのですから。 ですから、資料の羅列、調査結果の列挙に過ぎないのですね、同氏の作品は。 それ故、その死とともに、作品は速やかに忘れられていきます、中身=己の考えがないから。 目の前に格好の教材がありながら、その教材を活用出来ない人間が何故小説家になったのか、「職業選択の自由」と「職業選択の資格」は別だと思わざるを得ません。 (続く)
by 4kokintou
| 2009-04-29 16:47
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