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如何なる形であれ、歴史に携わる以上、心してかからねばならぬことは、歴史には決して筋書きがないし、綺麗事では済まない代物であると言うことです。
ですから予定調和も排斥すべきと考えますし(予定調和と書いて後講釈と読むべきです)、決定論にも与しません。 まず認識すべきは、「古代、中世、近世、近代、そして現代を通じて、統一国家が成立している時でさえ、他地域の統一帝国と比較して、中国は重税国家である」点です。 最初の統一国家、秦が短期間で瓦解したのは、征服王朝として被征服民に対したからで、苦役(肉体税?)を含めた課税率はおそらく70%程度に達し、加うるに厳罰主義で望んだからです。 当時の認識では、亡国の民は人間扱いするに値せず、滅ぼされた六国だってそれまでに似たり寄ったりのことをしています。 従って統一後の秦の行為は取り立てて非道でもなく、仮に楚が覇者となっていれば、楚の流儀で征服王朝として君臨した筈です。 惜しいことに秦の場合、六国を瞬時に滅ぼす能力(=軍事力)は有していましたが、征服王朝として思い通りに君臨する力量(軍事力+統治能力)は持ち合わせていませんでした。 こう考えますと、元こと「大元」は、民衆を黙らせるだけの力量を持ち合わせていた訳で、ですからフビライ死すの報に、江南の農民は鍬を放り投げて歓喜したのです。 漢(前漢)も郡県制(中央集権)と封建制(地方分権)の釣り合いが取れている頃は綻びも目立ちませんでしたが、あの阿呆の武帝(正式には孝武帝、ですから日本書紀などに記されている最初の10代の天皇の内、「孝」が付いている天皇はそれを外して考えましょう、そうすれば「実在」することも理解出来ると思われます)がやりたい放題した挙句に金に困って捻り出したのが、「塩鉄論」です。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-02-08 21:51
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