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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

嘉慶帝以降

昨日(6月20日)の「大予言」は今のところ大外れ、笑ってお許し下さい。


清朝(大清)の乾隆帝以降の歴代皇帝を在位年数と共に列挙すると、

乾隆帝(1735年~1795年、但し死去する1799年まで実権を掌握):
本人も阿片を愛飲し、周囲の喫煙も黙認して清朝のみならず中国没落の墓穴を掘った張本人と言うのが、小誌見解

嘉慶帝(1796年~1820年):
反阿片派として尽力するが、支配階級への浸透は止められず、阿片の国内栽培及び密輸は益々増加、その出費は結局、増税と言う形で国民に負担を強いる羽目に。

道光帝(1821年~1850年):
1840年の阿片戦争で巨額の戦費を強いられた挙句、42年の南京条約で膨大な賠償金と開港(広州、福州、アモイ、寧波、そして上海)、そして自由貿易を強請されたため、一時的にせよ戦費と賠償金、半恒久的には貿易赤字が国民への新たな負担に。
(それにしてもこの時点で香港を割譲させ、上海を自由貿易港に指定した大英帝国の強かさには舌を巻かざるを得ません)

咸豊帝(1851年~1861年):
中国では先帝が没しても元号は年内一杯そのまま使用する。
太平天国の乱が勃発したのは、道光帝が死去して元号が改まらない1850年12月。
太平天国の乱を鎮圧出来たのは1864年、つまり在位期間中を通じて内戦状態にあり、加えてアロー戦争(1858年)の戦費、(天津条約及び)北京条約での賠償金、指定自由貿易港の数の増加など、戦費と賠償金、貿易赤字が一変に降りかかってきた時代。

同治帝(1862年~1875年):
太平天国の乱が集結、それは好材料で、後の洋務運動の原資もこれによって捻出できたと思われる。
先帝の治世と比べれば国民の負担が少し緩和されたのが理解出来る。

光緒帝(1876年~1908年):
先帝もこの皇帝も「西太后の時代」なのだが、清仏戦争で善戦したがそれだけの話で、むしろ当時の列強フランスと互角以上の戦いを演じたことで政局が弛緩し、海軍の増強費用を頤和園の造営に流用するなど、絶対にやってはならないことを断行、挙句に軍事面で追いついた日本に敗れ、「眠れる獅子=張出大関」から一挙に幕内にまで転げ落ち、「眠れる豚」と認識した列強が一斉に蚕食を始める。
更に義和団の乱で反乱軍を応援すると言う愚挙を演じ、賠償金を搾り取られた挙句に列強の更なる搾取を許す羽目に。
1905年に科挙を廃止することで、まだ支配者層として存在していた宗族階級と決別、これが最後の一撃となる。

宣統帝(1909年~1912年):
ご存知ラスト・エンペラー、満州国皇帝。
この人物がどうのこうのと言うより、受け皿を考えずに有史以来の大変革(帝政→共和制)が出来ると考えた孫文と中国知識人の見識を疑いたい。

1912年の辛亥革命がもたらしたもの、それは軍閥による群雄割拠と際限のない混乱、苛政でした。

毛沢東と蒋介石、或いは劉少奇は、この軍閥の時代を踏まえずして考えるべきではありません。

(続く)

by 4kokintou | 2010-06-21 23:51
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