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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

大英帝国と中国共産党

「後生畏るべし」とは論語に出て来る一節ですが、後の時代の人間が過去に関して「恐るべき」勘違いをしている場合が多々あります。

例えば「分かりやすく国際情勢を解説してくれるおじさん」がテレビで持て囃されているそうですが、このおじさんが「第一次中東戦争すなわちイスラエル独立時点から、常に米国が関与している」との暴言を吐いているのを観掛けました。

暴論も甚だしく、第一次中東戦争の時、つまり新生イスラエルの危急存亡の時ですら、それまでに在庫処分に困っていた武器と武器製造装置の買い付けを黙認したに過ぎず、第四次中東戦争(これは日本独特の数え方で、欧米では第三次の後の継続戦争を第四次とし、ヨム・キップルは第五次に数えます)でゴルダ・メイヤーが米国に軍需物資の援助を依頼した以外、米国は事前に戦役の承認は与えることがあっても、軍事的に手を出したことはありません。

第一次中東戦争はアラブ、イスラエル双方とも開戦の日時まで早くから了解していました。

何故なら英国軍の撤退が完了するのがその前日で、「下手に鉄砲をぶっ放して英国兵を死傷させたら、何もかも台無しになる」程度の認識がアラブ側にも浸透していたのです。

つまり「中東を仕切っているのは大英帝国」と言う見方は中東社会の総意で、その英国軍が後のイスラエルとその周辺地域から撤退したことは、英国がアラブ側に対し、「パレスチナを含めたこの地域は、アラブ世界が煮るなり焼くなりしても構わない、但し大英帝国の了解の下で」と解釈されても仕方のない行動でした。

換言すれば、イスラエルが生き延びたことは大英帝国にしてもアラブ諸国にしても誤算で、英国とイスラエルの関係が必ずしもしっくりこないのは、この点にも由来していると思われます。

いずれにせよ「第二次世界大戦後も暫く中東を仕切っていたのは大英帝国」で、とすると戦前は言わずもがな、英仏の独壇場、英国の了解無しに一切事は運びませんでした。


欧州はどうか、後に宥和主義者の刻印を押されるチェンバレンが宰相の時代、鉱工業生産は米国の後塵を拝し、ドイツの台頭にも抗する術を持たなかった時代ですが、経済力=国力(政治力)ではなく、ルーズベルト大統領の欧州列強会議仲介の打診をチェンバレンは一蹴しています。

つまり「米国は欧州政局に口出しするな」と言うのが当時の大英帝国のみならず全欧州の総意で、シュペングラーを除けば「西欧=世界の中心」と見解を全欧州人が持っていましたから、欧州情勢を決める権利はまず大英帝国、次に第三帝国(ドイツ)、フランスは準主役でムッソリーニ率いるファシズム・イタリアは脇役、ソ連は論外で、「共産国なんぞヒトラーの餌食になれば良い」と言うのが大英帝国保守派の統一見解でした。

大誤算だったのはナチズムとコミュニズムが抱擁したことで、これにより欧州の政治力学が崩れましたが、それも大英帝国が欲しい物を与えてくれないと言う不満が高じての結果です。

そして戦後ですが、ナチス・ドイツ打倒に貢献したのは米英ソの参加国で、従って英国はここでも戦後、一定の発言力を有するのですが、ここがアングロ・サクソンの悪い所で、戦争が終われば徴兵を解除してさっさと帰国してしまう、その結果、欧州に残されたのは大量のソ連製戦車でした。

従ってスターリンが全欧州を軍事力で共産主義化する好機が巡ってきたのですが、そこに立ちはだかったのが、「逆張り」の天才にして希代の「ハッタリ屋」、ド=ゴールでした。

軍事力を含め無い無い尽くしでド=ゴールはスターリンに対して「喧嘩を売って来い」と叫び続けました。

それでも1948年の共産主義西漸は拒めませんでしたが、西欧を共産主義の魔手から護ったのは、間違いなくド=ゴールの存在です。

(続く)

by 4kokintou | 2010-11-19 00:20
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