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前回、中東及び欧州での大英帝国の第二次世界大戦前後における「存在感」に言及しましたが、アジア特に中国では事情が少し異なります。
やはりここでは日本(軍)の存在、精強無敵を誇る大英帝国を初めとする列強各国の軍隊を蹴散らした日本陸海軍の活躍が植民地住民を刺激したのは確かで、当時のビルマから東で大英帝国が維持出来たのは、上海は少し事情が異なりますのでここでは措きますが、皆無と言えます。 インドについては、やはりインパール作戦の影響が甚大で、大英帝国領インドに進軍して英国軍を撃破し、その領地(コヒマ)を占領した現実をインド人が目撃した点で、作戦の拙劣さや無謀さが日本軍に与えた計り知れない悪影響とは裏腹に、現代世界史を書き換えるだけの衝撃を与えたと言えます。 日中戦争(日華事変)が始まるまでのアジア地域において、ここでも大英帝国の存在感は飛び抜けていて、中国の場合でも北は威海衛から南は香港に至るまで、英国紳士が肩で風を切らない場所はなかったでしょうが、殊に勢力圏とされる長江流域は中国でも特に美味な地域、言い換えれば「収奪し甲斐のある場所」で、中印を縄張りとしていた大英帝国の国力たるや、経済力で米国に後塵を拝したからと言って、単純に比較出来るものではありません。 ただ、インドではガンディーが非暴力不服従と言う「可愛らしい」闘争を繰り広げていたのに対し、東アジアでは目的こそ違え、帝国に腕力で対抗しようとする勢力が二つ存在しました。 蒋介石と日本(=関東軍)です。 そして闘争形態は租界や租借地の接収(回収)と言う形を取ります。 因みに中国共産党が直接取り戻した租界、租借地は皆無です。 (続く)
by 4kokintou
| 2010-11-26 00:59
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