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太平洋戦争で日本は、ビンソン計画(プラン)、B29、そして核兵器(原子爆弾)に屈したと評しても過言ではありませんが、当時の軍首脳も馬鹿ではなく、サイパンを最前線に位置付けた「絶対防衛圏死守」を怒号していたのも、B29の航続距離が分かっていたからで、ここから大日本帝国陸軍はそれまでの「学習」の成果をみせます。
と言ってもまだ模索段階であったのは、「水際作戦」を採用して緒戦の段階で大損害を蒙ったことからも一目瞭然で、学習速度がもう少し速く、学習期間がもう少し長ければと悔やまれます。(「積極的に迎撃せよ」一辺倒の大本営が最も愚昧なのですが) 太平洋戦争は特にその前半、戦闘艦船の沈め合いであり、島嶼の争奪戦であり、大まかに言って前者が帝国漢軍の担当、後者が陸軍の仕事でした。 ガダルカナル島以降、帝国陸軍は敗北を重ね続けますが、当たり前の話で日中戦争では破竹の勢いで勝利を重ねた「成功体験」があります。 小さな島で優勢な火力を持つ相手に日中戦争式の戦いを挑んでも、しかも研究されていますから負けるのは当たり前です。 陸軍の苦闘はここから始まるのですが、逆に海軍は「真珠湾以降の成功体験」がミッドウェーで完膚なきまでに打ち破られた結果、思考停止に陥りました。 近代戦において最も大事なのはヒト、具体的には専門知識を有する集団で、戦闘機の操縦士や整備士などです。 ですからダンケルクに追い詰められた大英帝国は武器を全て放り捨てて人員だけを収容しました、武器は簡単に作れますが、人材の育成には多大な時間と労力を必要とするからです。 対するに帝国海軍の怠惰なること、如何に甚だしきや。 終戦時、ラバウルには約10万人の戦闘員が自給自足で居留していましたが、その殆どが海軍で、しかも多かれ少なかれ「その道の専門家」でした。 戦争末期の海軍航空隊の最大の悩みは、そういった専門家の不足で、特に操縦士の練成不足が致命的であったのは、海軍自身が痛感するところです。 つまり海軍は終戦まで何一つ学ばなかった、戦略思想が大英帝国にすら追いついていません、否、退化したのです。 陸軍は違います、学習効果が顕著になり始めていました。 (続けますが、中国に戻りたいので、この話は別のブログに移す予定です)
by 4kokintou
| 2011-03-10 23:43
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