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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

不祥事の由は天子様の不徳にあり

体力があれば、今日(3月14日)は二本立てで投稿する所存です。


中国には古来より、災害や凶作、更には戦争を含む不祥事は「天子の不徳の致すところ」と考える習慣が根付いていました。

この考え方は、平成の御世にあって完璧に正しいと小誌は宣言します。


己の思想信条を自己研鑽と後世への貢献のための糧とするのではなく、「飯の種」に思想信条を唱える輩、具体的には「職業左翼」、「職業保守」と、小誌は一線を画そうと微力ながら努めてきたことは、読者各位もご存知の通りです。

特に小誌が定義する「(真正)保守」と、「職業保守」との区別を明確にするため(「職業左翼」は現政権に社民党を加えれば出来上がり)、櫻井よし子女史を引き合いに出して今まで論じてきました。

今回は「職業保守」が話題ではないので、保守の立場から具申申し上げます。


保守は「(立憲)君主制」と「(立憲)共和制」の両方を選択可能であると、御想定されたことがございませんか。


明治大帝は治世の前半を、云わば過渡期的(かつ表面的)専制君主として、その後半は大日本帝国憲法下の主権者としておらせられ、日清及び日露の二度の国運を決する戦争を勝ち抜かれ、日本を列強の毒牙から逃せられ、植民地化されることなき社稷の礎を築かれました。

その嫡孫であらせられる昭和大帝の御世には、太平洋戦争での敗北と言う未曾有の大惨事を経験しましたが、これは輔弼機関たる内閣と、天皇が(直接)統帥権を有する軍部が衆議一致のうえで、つまり「臣民の代表」と「天皇の赤子の集団」が一致団結して天皇に対し開戦を御前会議にて強く求めたからで、その背後には報道機関に先導された部分はあるものの、臣民全体の固い決意がありました。

しかしながら最終的には天皇がご裁可なさったとは言え、実質的に臣民が始めた戦争にもかかわらず、臣民は戦いに敗れたのみならず、敗戦の決断も出来ませんでした。

その臣民の責を負いつつ、個人的に本意ではなくとも戦時中の敢闘を讃えられ、超法規的に詔勅を以って戦いに幕を引かれたのが昭和大帝でした。

臣民が天皇に感謝したのは、己が出来なかった「尻拭い」を肩代わりされただけでなく、地方行幸等にて苦楽特に「苦」を共になさったことからです。

昭和大帝の治世は、最初の20年が臣民の暴走と要請により干戈に明け暮れ、残りの40年余りは「先憂後楽」を率先垂範なされました。

ですからその末期に病重篤と聞いた「国民」は、誰からも強制されることもなく病気平癒の署名を黙々と書き連ね、そもそも占領下においてその占領者の代表的存在であるマッカーサー元帥宛に、差出人明記をうえで昭和大帝の助命嘆願と、それが叶わなかった場合の「対応」を仄めかした文書をこれも自発的に送り付け、まさに天皇から頂戴した「敢闘」のお言葉に戦後も報いました。


しかるに今上天皇の不行状、失徳の甚だしきこと、価値なき身の上とは言え、指弾せざるを得ずと申さざるを得ません。


現行憲法において主権は国民にあります。

そして狭義には天皇ご本人、抗議には皇族の方々のお手元には主権は存在せず、強いて申さば「主権を超越し、皇室典範に服すべき立場」におられます。

国民は現行憲法により保障されている部分もございますが、三大義務(納税、勤労、教育)を除いても、様々な部分で拘束されています。

現実をみれば一目瞭然、資金繰りに窮して自殺する「国民」、出世競争(受験戦争)に負けて頭が変になる「国民」、家庭崩壊で離婚する「国民夫婦」、それから元号が平成になって以降、顕著になったのが「親殺し」、「子殺し」です。

現行憲法に不満を抱いている輩も少なからず居る筈で、民主主義憲法を否定するもしないも、それは国民がすべき作業で天皇が容喙すべきではございません。

しかるにご即位直後の国会開会の「お言葉」で ~国会開会に際に自己主張出来る「特権」は国民の誰も有しておりません~ 「民主主義に立脚し」云々と言われたのは、明白なる「国民主権の侵害」です。


今上天皇のご愛読書に宮崎市定教授(故人)の名著「雍正帝」があると仄聞致しており、小誌も拝読しておりますが、宮崎教授が一方で「名君」と雍正帝を讃えているのは、帝が「為君難(君たるは難し)」の額を常に掲げ、己が身と寝る間を削って国政に立ち向かったからです。

ですが雍正帝には「確固たる信念」と「決断力」がございました。

腐敗しきった官僚=当時の宗族階級と徹底的に対峙し、最高権力者が弱者を救い、その安寧に腐心すると言う点で些かも揺れることはありませんでしたし、その統治手法は「果断」と評して差し支えないです。

「拙速は巧遅に優る」が真理かどうかは存じ上げませんが、陛下のご動向は結果的に「拙遅」に至りつつあり、これを俗世では「優柔不断」と呼びます。

しかも雍正帝はその後継者が、小誌が「中華帝国没落の端緒を開いた暗君」と評する乾隆帝でしたが、今上天皇はそれを上回る「怪物」を放置されておられます。

君子たるもの、してはならぬのは「公私混同」であり、「私を公より優先すること」であり、「伝統の否定による自己否定」であり、「特権の濫用」であり、「社稷の安寧に全く関心を持たぬこと」です。

敢えて名指ししませんが、「雅子のキャリアを否定する」云々と言った「些細な私事」を、税金とそれを公言出来る「特権」だけは充分に「濫用」して、国民に伝えることには熱心でも、公務特に神事には不熱心な「怪物」が畏れ多き所に存在します。


もう、全く尊敬していないから常体を使わせて貰うけど、主権者たる国民は老若男女を問わず常に「キャリアを否定」される惧れがあり、現実にその機会に少ながらず遭遇しているんだよ、その人生で。

自分の嫁だけ「キャリアを否定されない特権」を有するのは何故だ、それを公表する場を持つことが出来る「特権」を濫用する理由を答えろ、公務に励め、国事行為は進んで代行しろ、いい歳してこんなことを同い年に指摘されねばならぬ己を愧じよ。


畏れ多き所の腐臭は宮内庁を通じて官僚全体に伝播します。

昭和大帝が田中角栄を嫌ったのは「公私混同」の度が過ぎたからです。


皇室自ら率先して、「君主がしてはならぬこと」を全て、率先してするのであれば、共和制を前提とした憲法を制定するまで、今の少子高齢化社会において、不本意ながら施設に送り込まれる高齢者が無数にいるんだ、予め申しておきますが、「有形無形の特権」を保持したまま「国民」になれると思うなよ。

(続く)

by 4kokintou | 2011-03-15 00:30
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