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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

おぼっちゃま語録

習総書記は28日開催の政治局会議(多分ヒラの政治局員も出席)にて、中国共産党員を「適切な規模に保っていく」考えを明らかにしたそうですが、その理由が「党員の質を維持し汚職蔓延を防ぐため」、全人口に占める共産党員の「適切な規模」とは、どの程度の水準かは存じ上げませんが、共産党員を減らそうが増やそうが、共産主義中国が抱える構造的汚職が払拭される訳ではありませんし、「党員の質を維持し汚職蔓延を防ぐ」ためには、総書記が率先して資産公開する必要が有るのではないかと思われます。

中国では今も検閲が健在ですが、習近平氏やその家族の資産を調べようとすると、検索から撥ねられるそうで、と言っても世界に冠たる口コミ社会ですから、その実態は国民に筒抜けでないかと考えられます。

敢えてこの言葉を使わせて貰いますが、胡錦濤陣営の「狡猾」なところは、総書記を筆頭に「旨み」のある職責は全て反対派に譲り、自分達は最低必要な分野だけ堅持(党中央では紀律検査委員会、宣伝部、地方では北京市党書記、河北省党書記、広東省党書記、新疆ウイグル自治区党書記、西蔵自治区党書記)し、「下野して時を待つ」戦略を採用している点にあります。

汚職摘発も地方政府の公金横領も年金基金の横流しも全て、胡錦濤「前」指導部時代からの宿題ですが、習近平以下の「現」指導部にそれをせよと言うのは無理な話、泥棒に同業者を捕まえよというのと同じですから。

現指導部の失策(と言うより無為無策)により、逼塞していた汚職役人は息を吹き返して国民にたかり、常軌を逸した増産とそれに伴って発生する資金需要を賄うだけの資金放出は、インフレとなって国民を襲いますから、必ず「逆天安門型」事件は近い将来に発生します。

胡陣営はその時のために下野して責任を問われない立場に身を置き、「国民の味方」として再び登場することになります。


陳独秀(1879年~1942年、宗族の掃き溜め安徽省の名家出身)
劉少奇(1898年~1969年、湖南省出身)
戴李陶(1890年~1949年、四川省成都出身)


全く無関係の人物たちを羅列したように見えますが、さにあらず、1921年の中国共産党結党に先立って、1920年(?)に組織されたのが社会主義青年団で、その結団に深く関わったのが陳独秀です。

湖南省社会主義青年団(社会主義青年団湖南省支部と言うべきか)に1920年に入団したのが劉少奇で、それから1919年の段階で陳独秀の社会主義青年団(結成)に関係したのが、国民党右派として知られる戴李陶です。(社会思想社刊同氏著書「日本論」の戴李陶略年譜に従う)

その後進たる共産主義青年団が結成されたのが1920年8月、ただ社会主義青年団の創設時期を1920年8月とする説もあり、没字碑の小誌には分かりかねますが、中国共産党の結党が1921年7月、そこから逆算すると共産党の前身の役目を担う共産主義青年団が結成されたのは1920年8月と推測されますし、1919年の段階で戴李陶と陳独秀が社会主義青年団の件に関して接触しているのであれば、少なくとも中央では「社会主義青年団(結成時期不明)→共産主義青年団(1920年8月結団)→中国共産党(1921年7月結党)」と言う順序になります。

この流れで言えば中国共産党より(社会主義青年団を含めた)共産主義青年団の方が中国共産党よりも先輩であり、更に言えば「旧宗族系共産主義集団」たる青年団からみれば、支持を広げると言う点では致し方ないとしても、そこに「不純物」が混じるのは避けられず、その「不純物」が後に共産党の主導権を握ります。

従って青年団からすれば「不純物」との戦いの歴史であり、「不純物」の側から言えば反右派闘争の繰り返しと言うことになります。

そもそも当時の中国人に、例えば国民党と共産党を区別する必要が有ったのか、これが疑問であり、私有財産廃止を謳いながら得意技は私物化、党中央の指導に絶対服従しながら地方は地方で面従腹背、共産主義でも蓄財や資産形成には支障はない訳で、同じことは国民党にも言えます。

1840年から今に至る「退世(退代)」において中国は何をやってきたのでしょうか。

by 4kokintou | 2013-01-30 23:21
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