お気に入りブログ
記事ランキング
以前の記事
その他のジャンル
|
「北宋以前」において漢民族が学んだことは何だったのか、或いは学び損ねたことは何だったのか、これが後世の鍵となります。
まず、「学び損ねたこと」から検証しますが、これは簡単です、「法治」です。 「法家」と言う立派な思想分野を確立しながら、最終的に儒教を国土に浸透させ、法家思想(法治主義)を排斥したからなのですが、問題は法家思想を捨てたその理由です。 宗族の観点から言いますと、中国人は「一神教」を信奉しているからです。 へ? 中国は一神教の世界? はい、そうです。 宗族社会は基本的に祖先を信仰の対象とします。 祖先信仰の行き着くところは、「ご先祖様の、一番古い人、一番偉い人が神様」と言うことになります。 その点、徳川家康は学識がありましたから、死後に「東照大権現」と言う神様になりました。 ですから、家康が朱子学(儒学)を国学としたのも理由があります。 彼は天皇家に次ぐ、むしろ天皇家を凌ぐ日本版宗族「徳川家(御家)」の創設者と言う、宗族的意識を明確に持っていたことになります。 だから「神様」になりました。 ですから、その子孫が日光東照宮以外に参るのは、理屈で言えばそれこそご法度ですが、それはさておき、原籍が安徽省績渓県の胡さんが参拝するのは、龍川にある胡一族の霊廟「胡氏宗祠」、これ以外にありません。 近いからといって、ついでに江さんの祠に参ることは、まかり間違ってもありません。 「一神教」が言い過ぎなら、「一宗祠教」です。 そして、己の祖先信仰を絶対視すればするほど、他の宗族、非宗族者の信仰は、極端なことを言えば淫祠邪教の類となります。 ですから、各宗族を貫く統一原則が出来ない以上、「身内」も「余所者」も等しく扱うことは出来ません。 ですが、身分の上下や部族(宗族)の違いを認めた上で、法律を制定した社会(国家)が多々存在した(している)ことを踏まえると、中国の異様さが際立ちます。 そしてこの設問に行き着きます。 「何故、宗族間、宗族と非宗族、漢民族と異民族を貫く統一原則を成立させることが出来なかったのか」 鍵はやはり「北宋以前」にあるようです。 (続く)
by 4kokintou
| 2008-08-15 21:31
|
ファン申請 |
||