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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

殷賑遠からず

他国を研究することは、翻って己が生まれ育った国に対する理解を深めるためであり、それを自己研鑽の糧にして、その成果(誤りも含めて)を、同時代及び時代の人間を信じて託す、これに尽きると思います。

個人的には、自分なりの史観に基づいた日本史を書ければ、それに越したことはないのですが、それが叶わなくても「後生を信じて託す」、こんな身に余る光栄を以って作業を進めることの誇りは、何物にも代え難いものです。

お手元に日本史の教科書があれば、あらためて目を通されることをお薦めします。

左翼欽定教科書、山川の日本史でも構いません、記すべきことは記さねばなりませんから。

本誌を読んでいる方には意外と、目から鱗ではないでしょうか。


「後生を信じて託す」者あらば(伊能忠敬は幕府に願い出て、自費で東蝦夷を測量しました)、己とその一族のことしか目に入らず、しかも今さえ良ければ良い者(代表例は義政・富子夫婦)、偉人と伝えられている者でも意外と器が小さかったり、著名でなくともこの人物の業績が日本の方向を決定づけたりするのが分かります。

大事なことは、統一を達成した際、法律は(たとえ身分制を前提とするものであっても)、何時でもどこでも誰にでも適用されること、それから処分が厳しすぎないことです。


武田信玄は攻略した敵方の妻女を、家臣に対して「競り市」にかけました。

つまり、信玄の感覚では「敗者=奴隷」です。女奴隷を売って軍資金にしただけなのです。

ほぼ同時代の徳川家康は、幕府成立後、盛んに大名を改易させ、その結果、三代家光まで治世で多数の浪人が発生しました。

改易された大名の家臣は浪人になりますが、浪人の身分は何ですか。

武士です。

職を失おうと、生活に困ろうと、階級は武士で、そこから下がることはありません。

両者の意識の隔たりは、語り尽くせるものではありません。


ですが、中国人にとってどちらが当たり前か、今でさえ中国人は全員「武田信玄」です。

家康みたいに甘っちょろいことをすれば、3日で政権転覆でしょう。

この、「信玄」から「家康」への変化だけでも、歴史の進歩だと思いますし、今回は敢えて出しませんでしたが、両者の間に必要なパラメーター(変数)を考えるだけでも、歴史に対する理解が深まるのではないでしょうか。

中国の方に日本の歴史教科書を読んで貰い、片っ端方質問して貰ってそれを解いていくことが、日本人も中国人も求める「本当の日本の姿の理解」への捷径かも知れません。


中国についてあれこれ考えることの副産物は、朝鮮半島に対する理解が深まったことでしょうか。


以前、毛沢東と金日成を比べて、どちらがより優秀な共産主義者であるかと言う点で、金日成に軍配を挙げましたが、それは革命の最大の貢献者の子孫に、権力を継承することができた点を重くみたからです。

すなわち、革命に伴って新しい「血筋」が生まれ、その中でも最良の血筋が国家の領袖であるべきと言う考えを実行したこと、その前提としてそれまでの社会構造(=両班制度、両班=宗族)をズタズタにする必要があります。


では、北朝鮮はそれに成功したか。

成功しました、他ならぬ将軍様が身を以って証明してくれています。


金正日総書記が病に倒れてくれたお蔭で、血縁関係が新聞を賑わせています。

因みに将軍様には4人の夫人(正式かどうかはともかく)、長男の母親の姓は「成」、次男と三男の母親は「高」姓です。

ここまでは良いのですが、その前に補助線を予め引いておきますと、中国と韓国は「同姓不婚」で、金さんは金さんと結婚できません。

話を戻して、残りの二人は、現「夫人」(愛人)を含め、「金」姓です。

二人の「金夫人」がどのような待遇なのかは知りませんが、正式夫人であろうとなかろうと、同姓女性を「お手付き」にすることは、スキャンダル以外の何物でもありません。


ではお隣の韓国ではどうか。

ここも「同姓不婚」ですから、同じ姓の婚姻は認めませんでしたが、ある時、同姓の事実上の夫婦が「同姓不婚」による婚姻届受付拒否は憲法違反だといって訴え、司法がそれを認めてしまった。

国家が率先してモラル崩壊を推進してしまった訳です。


おそらく、中国人からすれば朝鮮人、韓国人なんて眼中にないから将軍様の血縁関係なんて知らないと思いますので、是非その部分を新聞から切り取って、説明(多分不要と思いますが)されることをお奨めします。


さて、ここからが本題です。

前回、中国の現状として身分階層の4分類しました。

煩雑で恐縮ですが、もう一度以下に掲げます。

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古典宗族:
歴史用語としての宗族、本誌でも宗族と言えばこれを指しています

革命宗族:
共産党革命によって、共産党の側にいたことで、これまでの非宗族階層から一挙に英雄扱いされた一族。後の太子党の母胎。

成金(裏社会)宗族:
金権で、或いは裏社会の力を利用してのし上がった連中。代表例が江沢民。元々は非宗族層出身。

非宗族階級:
「革命宗族」と「成金(裏社会)宗族」を生みながら、彼らに裏切られ見捨てられ、「都市部による地方からの搾取」と「逆累進課税制度」に呻吟する階層。
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私見では、中国の歴史は
「秦漢帝国以降~北宋以前」、
「北宋以降~太平天国の乱以前」、
「太平天国の乱以降~辛亥革命以前」、
「辛亥革命以降~共産中国建国以前」、
「中国建国以降~胡錦濤以前」
「胡錦濤以降~」

最後は願望も入っていますが、胡錦濤主席とその周囲が、中国人にとって最後の切り札であることは、おそらく間違いないでしょう。

「北宋以降」の身分制度を大雑把に言えば

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皇帝(及びその家族、親族)

(異民族政権の際は皇帝の出身民族等が入る)

宗族階級(=官僚の母胎、事実上の科挙受験資格層、文官)

非宗族階級(一生浮かばれない人生を送るか、宦官となって一発勝負を賭けるか、或いは武官になるか)
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「皇帝絶対主義」、「文官優位」、「科挙制度の確立」が「北宋以降」の特徴(元代も科挙採用以降はこれに近くなる)ですが、ここで質問。

「皇帝とその一族の出身は?」

宗族出身であろうが無かろうが、構わないわけで、社会構造に組み込むことが大事なのです。

つまり、「北宋以降」の最大の特色は、「皇帝に就いた一族は、敢えて特級宗族として、それ以外の宗族は官僚の長を出世の上限とする」ことで、宗族間の意思統一が出来ている訳です。

ですから、王朝を倒すのは、異民族しか有り得ない訳です。


これをぶっ壊したのが孫文なのです。

一番上の「皇帝」の部分を取っ払ってしまいました。

とすると「孫文以降」の中国社会構造はこうなります。

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(空席)

宗族階級(但し、一連の動乱や戦争を経て、力量の低下を露見)

非宗族階級(この時代になると、一部は宗族を凌ぐ力を持つ集団も出現)
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権力は空白を許しません。

そして、孫文が社会構造そのものを変えてしまったことで、「誰でも有り」の「何でも有り」の世相が出現してしまった訳です。

しかも、客家を中心とする非宗族階級の一部が、数千年の恨みを晴らすかが如く、第四コーナーから猛烈なスパートをかけますが、それは「軍閥」と「裏社会」と言う形を取りました。

「北宋以降」の定義のひとつとして、「政権交代期を除けば、国家が四分五裂したのは一度しかない」点を挙げていますが、その唯一の地獄の釜が開いた時期が、「孫文以降」だったのです。


そして何より注目すべきは、客家を含む非宗族階級の伸長は、海外勢力による中国蚕食と軌を一にしている点です。

宗族以外の手によって作られた都市上海の存在意義、この一事を以ってしても明らかです。

(続く)

by 4kokintou | 2008-09-20 02:46
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