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現代中国考


現代中国に独自の観点から考察を加えます
by 4kokintou

毛沢東の本音

なにやら小難しい理論(イデオロギー)を唱えながら、どうもあまり出自が宜しくない様子の武装集団が村落にやってきて、役所の徴税人や地主の取立て屋を追い払ってくれる、しかも負担は以前よりも軽くなる。

農民はさぞ喜んだことと思います。

ただ、「農村が都市を包囲する」場合の「農村」とは農民ではなく、農民に寄生した共産主義武装集団の役割だったのです。

その頭目の一人が毛沢東で、彼が率いていたのは都市や農村共同体からの脱落者、はぐれ者、食い詰め者ですが、同時に犯罪集団や流族と言った裏社会の集団とも親密な関係にあり、様々な支援を受けていたことは間違いありません。


まだ高校生だった頃、歴史の授業で「長征」の進路図を見た時、「黄巣の乱と似ているな」と感じた記憶があります。

要は、官憲の追尾を受けてあちこちを点々とする、兵糧のある方向に向かう、官軍の手薄な所を狙うなど、行動が瓜二つだったからです。

その黄巣の乱ですが、その主力は塩や茶を初めとするご禁制品の闇商人と、社会から爪弾きにされた頭目の部下になった者たちです。

換言すれば、農民の参加者は少ないのです。


農民の悩ましい所は、どんなに虐げられても何とかギリギリの線で食っていけると言う点にあります。

つまり、土地に縛られている側面があります。

農業をしている限り、確実に食べていくことだけは出来ます。

ですが一旦、土地を捨てますと、収入の保証はなくなり、収入面で不安定な生活を強いられます。

ですから、農民が流民になるには、相当な覚悟が必要で、これ以上土地に執着してものたれ死ぬだけと判断した時に限られます。


確かに毛沢東の偉い点は農村に己の居場所を求めた点にあり、歴史上初めて農民と接した点で、他の政治家と隔絶していると言えます。(ですから、今でも田舎の方で人気が高いのだと思われます、地主や役人から守った点を加えて)

しかし、農民の窮状に心から憤慨しての行為であったかと言うと、その点はどうも怪しいです。

兵士の装備が貧弱過ぎるのです。


当時のソ連の独裁者スターリンは、共産中国建国実現の直前まで、マルクス・レーニン理論に乗っ取って、まず中国では国民党が全土を統一してブルジョア革命を実践すべきと考えていました。

これは、特にレーニン主義の定跡とも言える考え方で、共産党の出番はその後と言う考えは、何ら共産主義者としておかしくないのです。

従って、国民党によるブルジョア革命が成就する以前の段階で、中国共産党が国民党と反目し合うのは、革命に対する妨害行為であり、事実、ソ連は共産中国建国まで、武器の供与に際待て消極的でした。

ですから、武器や装備は裏社会から調達するしかなく、それでは役人、地主層が有する治安維持力には叶わないのです。


とすると、一旦「農村が都市を包囲」しても、周囲の協力を仰いだ都市側が反撃に移ったら、やはり持ちこたえられません。

ですからすぐに、農民を捨てて次の土地を求めて彷徨いますが、可哀想なのは残された農民で、それなりの制裁を受けたことは想像に難くありません。


胡主席は、最終的には教育にまで手をつけると思われます。

そうしないと、嘘や伝説で塗り固められた歴史を教わっても、国民に資することはないからです。

中国近代史及び現代史は、鵜呑みにせず慎重に検討する必要があると思われます。

(続く)

by 4kokintou | 2008-10-16 10:55
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